在宅善哉 6/28の分です。

 

前回は、在宅療養されていた、80歳台のご主人を亡くされた奥様の話を紹介しました。ご夫婦とも、仏教文化がしっかり根付いた京都の人らしく、信心深い方々で、私もお伺いするたび、よくそんな話をさせていただいたものでした。
ご主人が在宅療養を全うされたときも、奥様はとても静かな落ち着いた声で「今、息をひきとりました」と報告され、感銘を受けたのでした。
こういった在宅での療養生活は、私のような医師のほか、ケアマネジャーなど介護職、訪問看護師が関わります。このご夫婦の場合、お勧めして、訪問で薬剤管理をする薬剤師もお願いしていました。
いわば、ひとつのチームで在宅療養を支えるのです。大きな病院とは違って、私たちもその地域で事業所を営なんだり、生活しており、ちょっとした会話でご近所の話をだしたりして、一緒に和んだりすることがあり、そうしたことが患者さんに安心感を与える要因にもなっています。わがチームの薬剤師さんは近くの老舗薬局の若先生で、ご夫婦と幼いときからの顔なじみだったようです。
ご夫婦の場合、何か体調の変化があると、まずケアマネジャーさんに連絡されました。ご夫婦はケアマネジャーさんを強く信頼しておられ、何かと「先生」といっては頼りにされてました。そのケアマネジャーさんから私や訪問看護師さんに連絡が入りますと、すわ一大事とばかりに、みんなでいっせいにお宅に駆けつけます。訪問看護の所長さんはまだ30歳すぎの若い人でテキパキした仕事ぶりがさわやかな人です。
いわば〝実力者〟ぞろいのチームがご夫婦宅に顔をそろえますが、結果として、何でもないこともよくあったのです。
それはそれで、みんなでご夫婦を囲んで笑っておしまいといった感じで、なんとなくユーモラスな雰囲気になったものでした。
病院ですと、どうしても治療の成否によって、医療スタッフの患者さんへの対応が左右されがちですが、在宅療養は、ある意味、患者さんの意のままです。
でも、患者さんからいろいろ要望があり、その都度、チームでそれに対応することの積み重ねがあってこそ、最後の時を迎えるときのご本人やご家族の納得につながるのです。
ご夫婦の場合も、ご主人の意識状態が良くなくなって、いよいよというとき、奥様に残り時間の少なさについて説明しました。もちろん、長年添い遂げたおふたりですから、奥様は動揺されましたが、私の説明に、きっぱりと、「うちで最後までみます。このまま入院せんと、ここにおります」とおっしゃいました。
(隔週、月2回掲載)