【尾崎容子】老後の備え、中途半端な貯金よりも大事なこと
2020/3/12ニュースピックス第5回掲載分(有料記事のためそのままではなく一部改変しております)

高齢化社会日本。2025年には年間150万人以上が死亡し、ピークとなる2040年には168万人が死亡すると予測される。介護や看取りは他人事ではない。そして、自分自身もいつかは迎える「死」。

もう積極的治療は難しく余命を考えるようになった時、あなたはどこで最期の時間を過ごしたいだろうか。

訪問診療医の尾崎容子氏は、人生の終末期を自宅や施設で過ごす人を支え、多くの人を看取ってきた。最期までその人らしく過ごせるように寄り添い、支える家族や周囲の人に「看取り勉強会」を開く。

「知らないことで不安になる。身体の弱りや死について、きちんと知識を持つことで不安は減ります」と語る尾崎氏の看取りのあり方とは。(全7回)

<医療は「おまけ」できない>
こうして終末期の患者さんを見ていて、つらいことは「お金がない」と言われることです。
例えば、私が「じゃあ無料で行ってあげる」となると不当廉売になるんです。医療は「あそこの先生に言ってみなよ、安くしてくれるよ」みたいなことになってはいけないのです。
もちろん、過剰請求も違法です。やった医療行為は、やった医療行為としてちゃんと保険診療を請求しないといけないのです。医療は「これ、まけておくね」というわけにはいかないのです。

もし「お金がない」というならば、実際にした医療を安く請求するのではなく、最低限の医療行為をおすすめすることになるわけです。
「わかった。じゃあ普通なら私の診療は月2回来るのが本当なのですが、月1回にしておきましょう。体調が安定していればそれで済みますものね。もし何かあったら電話で相談してください。電話相談は700円だから1割負担なら70円で済むからね。なるべく電話で相談受けて、薬局さんや看護師さんに対応してもらうから、そうしようか」と提案します。
例えば、患者さんがお子さんだと保険診療費の3割負担になってしまうので、小児がんのお子さんだと家族にはお金の負担が多くかかっていますから、月1訪問でカバーするなどしています。
訪問看護師さんやヘルパーさんなど、他のサポートで補える部分を補ってもらうこともあります。
もちろん本当はもっとお手伝いしたいけど、経済的なご負担をかけることはできないのです。
<医療は高級寿司屋ではいけない>
病院では「今からこれ注射するけど、1本3000円ね」とは言わないですよね。ある意味、高級寿司店のような感じで、お会計を見て「ワッ!」となるわけです。
でも、私の場合は1アクションごとに「お金の話してごめんなさい。でも高いのよ、私(笑)。私が悪徳医師なわけではないんやけどね。保険診療をするとそうなっちゃうのよ。ごめんね。」と言っています。

在宅医療を受ける高齢者の方は、すでにご家族と離れていて、自分の年金や蓄えだけでやっている方も多いです。これから貯金を増やすこともできません。
でも、貯金はないけど持ち家もある、なんていう方が一番大変なのです。家を持っているとそれを財産として計算されて生活保護も受けられないのです。
生活保護を受ければ逆に医療は無料になったりするのに、その人たちはそれもできず先祖代々の家を売れずに寝たきりになっていたりすると、にっちもさっちもいかなくなってしまうのです。
中には、床の根太(ねだ)が全部抜けてしまって、おばあさんの介護ベッドの重さで床が傾いてしまい、歩くと「おっとっと」と、みんながおばあさんのベッドに引き寄せられてしまうような家もあるんです。マジックハウスのように平衡感覚がおかしくなって、それもまた楽しくて笑ってしまったりするのですが。いっそ、そこを売って賃貸マンションに引っ越したほうがいいのに・・・と思うこともあります。先祖からの土地を売るなんてできないのが、その人らしさになるのでしょうね。
在宅診療の診療費は、普通なら8000円ぐらいなのですが、夜だとなんとびっくりプライス3万円ぐらいしてしまうのです。その1割負担だと800円や3000円で痛みは大きくないのですが、3割負担だったら2400円や9000円になってしまって負担感は大きいわけです。
さらに在宅酸素をつけたりいろいろすると、個人負担が1割でも1万円近くになっていくのです。そうなると、きちんと一つひとつ話をして必要な医療だけを確実にしていくのが大事です。
夜中に連絡が来た場合、夜間の診療は高くつきますから、もし急を要さないのだったら明日の朝行こうかと話すこともあります。そうすると「いや、お金のことは大丈夫なんですけど・・・・でも、先生の声を聞いてたら安心したし、明日で大丈夫です。」なんて言われるのです。そしてきちんと次の日の朝いちばんに往診します。

<「助けて」と言える人になろう>
今、若い世代の人たちが「老後のためにお金を貯めなきゃ」と言いますが、確かにどこまで貯めても不安は尽きないですよね。よく貯めておいてください(笑)。
でも、スッテンテンになってなくなってしまったら、それはそれでなんとかなります。日本の施策ではきちんとなんとかなるようになっています。
あまり中途半端に持っていると自助努力を要求されるので、いっそスッテンテンになったらなんとかなることもあるんです。
誰かに「助けて」と言える人なら、一人でのたれ死ぬことはないのです。日本は、誰かに「助けて」と言える人は、助けてもらえる社会です。
何でも備えて、何でも自分でなんとかしようとしておくよりは、「助けて」と言えることのほうが大事なのです。

お金ももちろん大事。でも、誰彼ともなく社会に向かって「私を助けて」とは、ある程度自分に自信がないと言えないものです。
えてして貧困状態にある人は「助けて」と言えなくて、さらに貧困に陥っていく。意外とグダグダしていたり、おおらかな人のほうが「助けて」と言えて、自分をギリギリと縛っていくタイプの人は自ら追い込んでいってしまいます。一人できちんとしっかりと生きてこられた方が老いて人の手を借りないと生活できない状態になってきたときに、「自分できちんとしたい」と思う気持ちが強すぎて「助けて」と言えなくてどうしようもなく膠着状態になることがあります。遠くの親戚の方に連絡をつけてなんとか支援を入れるようになると、一転してものすごく安心されたり。
そういう方に「あなたのように、支援を拒む人にはどうしてアプローチすればいいの?」と支援を受け入れるようになった後でお尋ねすると「そうやなあ、やっぱり一度こういうお世話を受けることを体験してもらったら『ええもんやなあ』ってわかるんやけどね。」と笑ってくださるのですが、「アンタ、あれだけ拒んでましたやんか!」って心の中で言っております。

<家をいじるのは最小限に>
60代のご夫婦で奥様がご主人の介護をされていて、私が行って「訪問看護師さんを導入しようか?」と言っても、「いらんいらん」と言われる人もいます。
でも、お風呂で転んだ旦那さまを奥様が一人で起こすのも大変。電動ベッドだって買ったら20万や30万円しますが、借りたら月1000円程度なので、「電動ベッドは借りようや」と言ってなんとかケアマネさんを入れることができました。
それでも「ケアマネさんと気が合わない」と言って断ってしまった過去があったり。
そういう時は「では、あなたには私の一押しのケアマネさんをプレゼント!」と言って、信頼できる方に行っていただいたら「先生、素敵な方が来ました」って。
「せやろ、あの人で素敵じゃないと言われたら出す人いないわ」と返事しましたが、やはりそういった人からもきちんとニーズを汲んで、プロフェッショナルとして必要な知識を使って、対応してくれるケアマネさんが必要なのです。
介護って、バリアフリーでも何でも入れればいいと思われる時がありますが、みんな自分の家を気に入っているから実はいじられたくないんですよ。
だからその患者さんの家のあるがままにしておいて、ちょっとここに柵があったら便利かなっていうところに柵を置くだけ、みたいな最小限の支援がいい、ということがあります。
えてして訪問サービスの人は、「あなたにはこれもいるでしょう、あれもいるでしょう」とやり過ぎてしまうところがあり、すると「俺の気に入っている家をガチャガチャ触らんといて」と高齢者は思ってしまうんです。
イケてるケアマネさんは、「わかりました、これだけ入れましょう」と最低限のことを言って、「他にもこんなのもありますから、時期が来たらお知らせしますね」とサラッとご紹介程度にとどめているんですよ。
その人のあるがままで最期を過ごさせてあげるんです。