コロナ禍にていろいろ大変な日々が続きます。それこそ私たちも感染に気を遣いながら日々を過ごしています。手指消毒や器具消毒などを基本として訪問業務をしておりますが、去年(2020年)の今頃(4月から5月)は本当に大変だったしストレスフルでした。
コロナ禍で思い通りにならないことが増えています。思い通りにならない・・・ということについて、私の考えをお話ししたいなと思います。

私の患者さんたちの中には脳梗塞後の方も多くいらっしゃいます。若くして脳梗塞になった方、高齢になってから脳梗塞になって回復が難しい方。思い通りにならない病気の一つです。
みなさん「脳梗塞なんてなったらおしまいだ」とかおっしゃる方もいらっしゃるわけですが、ここで明らかなことはひとつ。脳梗塞になりたくてなった方は多分一人もいない、ということ。そして「もうおしまいだ」なんて思われていますが、意外と「おしまい」でもないし、人によっては日々を丁寧に生きておられる方もいらっしゃいます。もちろん日常生活動作も低下してしまって寝たきりの方もいらっしゃいますが、丁寧にかかわってみると驚くほど豊かな感情表現をされることがあります。こちらのかかわりが雑だから表現されないだけで、丁寧にかかわればきちんと表現されます。
何が言いたいかというと、思い通りにならないことが起こっても「おしまい」ではないということ・・・・です。

思い通りの人生でなかったら、「もうおしまい」なのか?というとそんなことはありません。
あの時思い通りにならなかったから仕方がなくこのようにしたら、今につながるこんな道に出たのだ、ということはよくあることではないでしょうか。

ある友人の経験を共有したいと思います。
彼女が家を建てるときに、建設会社が倒産してしまったのだそうです。粘り強い交渉の末、なんとか損失はほとんどない程度になったということですが、せっかく出来上がった家は自分たちのものにはならなかったのだと。夢の持ち家、だったはずが新築の家はあきらめざるを得なくなったのだそうです。
そしてその新築の家はあきらめ、場所をその新興住宅地から新しく就職する予定になった職場に近いところに移転し、中古住宅を購入されました。
数年後。かつて新築した家の周辺で水害がおこり、まさにその新興住宅地は水没したのだそう。もし、あの時、そのまま家が自分たちのものになっていたら・・・。そう考えると鳥肌が立ったと言います。

あるいはうちの夫の話。私が子供を産んだ後、産後8週で職場復帰および10週で当直復帰を強制されました。これは私が望んだことではないのでいまだに恨みは深いものがあります。そして私だって当然大変なのですが、夜中3回授乳が必要な子供を残されて世話をすることになった夫も大変な状態になり、ほどなくうつ病を発症し、退職することになりました。その後2年してようやく社会復帰できたのですが、この就職も紆余曲折がありました。ですが、結果的にそれまでの業界とは違う業種で、学生の時に勉強した分野の業種の研究職につくことができました。
一方、退職した前職ですが、この会社はしばらくしてほかの会社と合併・統合しました。大変な状態になり、残るのも地獄、去るのも地獄というような状態になったそうです。今の職場は福利厚生が充実しており、無理せずに働くことができる職場です。前職のように夜遅くまで残業を余儀なくされることはありません。

一方私のほうは、かなり無理な産後の職場復帰や当直復帰を強制され、体調不良となり大学病院を退職しました。そして関連病院に就職し、そこで緩和医療の研修をする時間ができ、現在の状態につながることになったわけです。あのまま大学にいても当時人員飽和状態であった緩和ケアチームに入るのは多分難しかったでしょうし、今のような仕事ができるようになったかどうか、わかりません。

思い通りにならない病気になることもあります。生活の自由が奪われる病気。命が危うくなる病気。
それに罹患したとしても、そこから始まる豊かさはあるのではないかと思います。きれいごとではなく。
目の前にあることに豊かな意味づけをするのも、「おしまいだ」と意味づけするのも、その人次第ですが・・・。
「こんな病気になって初めて見えてくるものがありました。病気にならなかったらこんなにいい時間はなかったかもしれない。」とおっしゃる方は本当に多いのです。

このように、「思い通りにならなさ」を起点とする、「思いもよらない」世界にたどり着くことはしばしばあることです。
私は「思い通りにならない人生から広がる豊かさがある」と思います。
思い通りにならないから仕方がなく始めたことにより、そこから広がる豊かなもの。
思い通りにならない、思っていたものが手に入らないという状態。手にしたいと思うものが手に入らない状態。その状態で空いている手に思いもかけないよいものを手に入れることがあるということなのでしょう。
自分の思い通りにならないことが即不幸なわけではないとみなさんにお伝えしたいです。
コロナ禍で、つらい今の時にはそう思うことが難しいかもしれません。でも、あとから「あの時に変化の起点があったな」と思えるように、そう思います。