最近、仲のいい薬剤師の先生に聞いたちょっといい話を。
いつも穏やかでおっとりされている男性が、業務のことでちょっとカリカリとされていたそうです。「彼にしては珍しいな」と感じていたところ、当の本人から「僕、もしかしてキツくなってますかね?」とお尋ねがあったのだと。私の友人は「そうやね。いつもに比べるとちょっとイライラしているようにみえますね」と答えたら「わかりました。コントロールするようにします。」とおっしゃったのだと。
後日、同様のシチュエーションにおいても、その男性はいつものペースで穏やかに対応されていたので、友人は「えらいなあ」と感じていたと。当の本人が「どうですか?今日はイライラは見えませんでしたか?」とお尋ねがあったので「今日は、いつもの通り、穏やかでしたよ。」と答えたら「よかった」と喜ばれたと。
友人もそして私自身もそうなのですが、「感情をコントロールする」というと、「いら立ちを覚えても、それを外に出さないようにコントロールする」というように思っているのですが、皆さんはいかがでしょうか。
その男性は「発生した感情を表出しないようにコントロールする」のではなく、「そもそもそのようなイライラした気持ちが出ないようにコントロールする」のだそう。
私は大変驚いたのですが、でも、そちらのほうが、実際にはパフォーマンスが高いなと感じました。

先日、胃カメラの検査を受けました。喉をカメラが通過するときの吐き気の感じがするときに、本当に嘔吐反射を起こしてしまうと筋肉を緊張させてしまって余計に苦しくなるものです。吐き気の感じがあっても「いや、大丈夫、吐かない。吐かなくても大丈夫。」と力を抜いて大きく呼吸を続けることで、筋肉の緊張を防ぎ、苦しくなることなく検査を受けることができるものです。
感情も同じなのかなと思います。イライラっと感じられるときにその感情を許してしまうと、イライラが本当に消えず、態度に出てしまいます。
しかし、イライラを感じない、それは流せばいいのだ、とその感情に身を任せることなく、流してしまうと、イライラは(まったく消えるということはないにしても)態度には出ないように思います。

と、ちょっといい話を聞きました。
ですが、やはり人間というのはそんな簡単なものではないですね。
日々、イライラと戦いながら生きています。イライラの気持ちを逃しながら深呼吸していますが、どうしようもない不快感に感情を爆発させてしまうこともあります。
それでも、そんな自分とどううまく付き合っていくか、少しずつでも穏やかな自分になれるようにと思っています。
最近仏教の学校の試験前なので勉強しています。そうすると、さすがお釈迦様はいいこと言うなあと思うのですが、「三毒」というのがあって「むさぼり、いかり、おろかさ」なのだそう。
いかり、というのは本当に毒たる感情なのだなと反省しきり。ちょっとでも毒を好まないような生活をしていけたらと思います。