私は週に1回京都市下京区の明覺寺さまにてお勤めの練習をさせていただいています。
「僧侶」の肩書をいただいていても、お寺を持たない身では、お勤めをするチャンスがありませんので、基本的なお経も覚えられません。したがって、お寺でお勉強をさせていただいています。

御寺の門前には門前説法という、ちょっといい話や、問いを立てる言葉が書かれていますね。
今日、お寺に行くと、新しい言葉が書いてありました。
「あなたに暑いと言わせるのは何だろう?」

この問いに対して私の答えははっきりとありました。
それは「平和と安心」です。

それをお話しする前に、先日あった私のお話をいたしましょう。

週末の8月7日。お盆のお参りにはちょっと早いながらも来週はお参りには行けそうにもないし、大阪府下の自宅の近くのお墓にお参りしてきました。
すると、なんてこった、お墓が土だらけなのです。墓所の土がほじくられ、ボコボコ、そして土がまき散らされていました。お供えのお湯呑みも投げ捨てられていました。
なんてひどい・・・・。幸い壊されたものはなく、ただ箒で掃いて水で土を流してきれいにすれば終わりだったわけなのですが。
私が「ひゃあ」とか言いながら掃除していると、お墓参りのよその知らないおばちゃんが「奥さん、もぐらか?」と話しかけてくれました。「もーーぐーーらーーーー?」
うーん。もぐらは下からアタックしてくるけど、下からの攻撃という感じではありませんでした。「もぐらとはちゃうんちゃうかな。うーん。」と答えました。
「これ、お寺さんに文句言うたほうがええね」とおっしゃいます。
「え?お寺さんは、なんも悪ないですやん。」と返すと
「そやけど、管理責任てあるやん。これはひどいわ。」とおっしゃいます。

私は心が温かくなり、がさがさした気持ちが凪いできました。

「おばちゃん、ありがとう。おばちゃんがこうして声をかけてくれて、一緒になって怒ってくれて、すごい気持ちが楽になったわ。ありがとう。」

私は「バッドニュースコミュニケーション塾」という講座を主催しています。そのときに自分にとってつらい状況に一緒になって怒ってくれる人がいると、心が安らぐというお話をしております。
まさにこの日、私は「一緒になって怒ってくれる人」に癒されたというわけです。

さて、「あなたに暑いと言わせるのは何だろう?」に戻ります。

私は「暑い」と言わせるものは「平和と安心」と言いました。
これは、「政治と宗教の話は話題にするな」「気候の話なら誰も文句を言わない」という古くからの知恵の話です。
気候の話なら誰も文句を言いません。そしてみんな同じ地平線の上で「暑いな」「もういい加減にして」と愚痴を言い合い、そのつらさを反復し、共感することができます。話題として「安心な話題」ですし、確実に共感できるという意味でこちらも反応しやすいし、相手から自分を傷つけるような反論が出にくいということで安全な話題です。
暑さにたいして自分が「一緒になって怒ってくれる人」になれますし、相手もまた「一緒になって怒ってくれる」でしょう。安心な話題です。そして、基本的には平和な時の話題です。暑さ以外に大きな心配がない時に出てくる話題です。たとえばコロナのことで大きな被害が出ているときには暑さは話題になりにくいものです。暑さは平時だからこそ出てくる話題です。

そんなお話をご住職に返しました。

ところで、ご住職からの「正解」は何だったのかというと「暑さを口にする前に『太陽の光が届いている』ということが前提である」ということなのだそうです。
自分たちがお念仏を唱える、その前にすでに阿弥陀如来の慈悲が届いているということ。
暑い寒いというその前に自分たちが慈悲により生かされているのだ、という気付きを与えてくださっているということでした。
本当です。
明覺寺のHPに書いています。「朝の風景 眠れない夜をなげく者は多いが 目覚めた朝に感謝する者は少ない」