とある患者さんのお話です。
この方は、進行性の病気を持っておられる方ですが、外出もされ、お元気にお過ごしです。
お一人暮らしでいらっしゃってご自身のことは自分できちんとされる方です。
この方に少しだるさなどが出てきました。

ある診療の時に
「個人差はあると思うのですが、患者ってこのあとどうなっていくのですか?」と尋ねられました。
私は「個人差はあるのですが、亡くなりゆく方はほぼ全員、弱って亡くなっていかれます。」と答え、
「『人は最後は赤ちゃんにもどって逝くんやで』って聞いたことはありませんか?」とお尋ねすると「知らない」と首を振られました。
「弱りって何かというと、『今までできてきたことができなくなること』だと私は説明しております。」と言いました。
そして、弱りについて話す時に、いつも引用する美智子上皇后のお言葉をお伝えしました。
「美智子上皇后は、お得意だったピアノの演奏が病気のせいでだんだん難しくなってきたのだそうです。それに対して『今までできていたことは授かっていたもの、それができなくなったことはお返ししたもの』とおっしゃるのだそうですよ。」

この言葉を初めて聞いたとき、私はものすごい衝撃を受けました。弱りの当事者が、このように認識され、弱りを受容し、さらに新しい自分を生きているということをできる人はなかなかいません。

その美智子上皇后のお言葉をプレゼントしてその日の診療は終わりました。

次の診療の時。
「先生、私はこれからどうやって生きていけばいいのでしょうか?」とお尋ねになられました。
少しずつだるさがあり、動けなさを実感されているということでした。それでも外出されお買い物にも行っておられます。
私は答えました。
「どうやって生きていく?(笑) あのねえ……。もうちょっとシンプルに考えてみましょう。
どうやって生きていくもなにも…。人って、死ぬ瞬間まで生きているんですよ。死ぬまで生きているだけです。自分の生き方を死ぬまでするだけです。だって、他の生き方なんてできないでしょう?」
そう私が笑いながら言うと、その方は目を丸くしていましたが、やがて笑顔になられました。

「ただ、『弱り』はあります。前回言ったとおりですが。弱りが出てくるとき、自分ではできないことが出てきます。買い物に行けなくなる、お風呂に自分一人で入れなくなる、トイレに自分で行けなくなる、などです。
弱りでできなくなったことは人に委ねないといけません。これは難しいことです。特に〇〇さんのように、自分でなんでもきっちりしないと気が済まない人にとっては難しいことかと思います。」と言いました。

「〇〇さん、今までどんなふうに生きていらっしゃいましたか?」とお尋ねすると、この方は生き生きと語りだしました。この方は語学の勉強が好きで、語学を生かしたお仕事をされ、語学を学ぶ仲間とともに過ごす時間を大切にしてこられたのだそうです。
「では、その生き方をご自身の最後の時間までするだけではないでしょうか。」と申し上げました。

「先生、私、先生にこの前言われた美智子上皇后のお言葉のことをずっと考えていたの。弱るってできてきたことができなくなることなんですよね。私。お返しすることができるのかしら。」
「でも、そうね。先生の言うように、シンプルに考えるのは大切なことかもしれない。」

まだまだこの方はお元気です。その中で、ご自身の弱りを予感することは怖いと感じられるかもしれません。
私たちは、この方に安心してゆだねていただけるチームを作っていきたいなと思っています。