先日友人と話していて「それ、ようこさん、『進次郎構文』やな」と言われました。

「進次郎構文」ってナニ?とその友人にお尋ねすると、自明なことをあたかも新しいかのように言うことのようですね。
みなさんもググって下さい。

さて、私の言うことって、まさに進次郎構文じゃないかと思うのです。
当たり前のことをみんな忘れているのです。
死を前にすると、いつもの当たり前を忘れて、大慌てになります。

容子名言
① 「人って死ぬまで生きているんですよ。死ぬ直前まで生きているんです。」
② 「困るまでは困っていないんだから、困る前から困らなくていいと思います。」
③ 「転んだらどうしよう?ってことですね。転んだら、それ以上転びません。だから安心して転んでおきましょう。」

① 「人って死ぬまで生きているんですよ。死ぬ直前まで生きているんです。」
まさに、そのとおりなんですが、この名言(自分で言いますが)は「先生、このあと私はどうやって生きていったらいいんでしょう」という問いから導かれました。
その問いに対して上記の通り答えました。
私は在宅医療をしています。病院では「患者さん」である方が、ご自宅では単なる「生活者」です。もちろん弱りがあってできなくなることがたくさん出てきます。それについては、自分のできないことを他人にしてもらうという「ゆだねる」ということが必要になります。家族に、看護師に、ヘルパーに委ねる、ということです。そのように委ねることは必要ですが、自分ができることはご自身ですればいいことで、どのように生きるかという問いに対しては、「これまで生きてきたように生き続ける、それ以外にありません。逆に、それ以外の生き方ができますか?できませんよね?」です。

他にもご家族さまから「どんなふうに接すればいいのかわからない」というお言葉をいただくときも同じ返事をします。
「生活の中の『生』、そして生活のなかの『死』、なんです。だからこれまで通り、日常生活を大事にしてほしいです。」とお伝えしています。
死は特別なことではなく、生活の延長線上にあるものなのです。だから、特別なことはなく、日常生活を大切にしてもらえたらいいな、そのためにも身体症状を緩和することが大切だと考えています。痛い、苦しい、があったら、日常生活を送ることができませんものね。

② 「困るまでは困っていないんだから、困る前から困らなくていいと思います。」
これも進次郎構文かも。「脳梗塞になったらどうしよう」「転んだらどうしよう」・・・・。
たくさんの「どうしよう」がありますよね。
でも!!今は!困っていないんですよね?
じゃあ、この時間を大切にしましょう。今は、脳梗塞じゃない。転んでもいない。
今のこの瞬間は大切な時間です。この瞬間を大切にしたいですね。

④「転んだらどうしよう?ってことですね。転んだら、それ以上転びません。だから安心して転んでおきましょう。」
これも進次郎構文かも。
転んだらそれ以上転ばないんですよ。一番安全な状態ですね。だから、慌ててご家族一人で起こそうとしないように。一人で起こそうとすれば、ご家族も一緒に腰をギックリ腰になったり二次被害が懸念されます。まずは、「これ以上転ばない」と安心し、仮に骨折していたとしてもこのまま置いておけばこれ以上骨を折ることはないんだという認識をもって、ゆっくり次の行動に出ます。
訪問看護師などが入っている場合は、訪看さんを呼びましょう。一人で起こそうとしないように。ご近所の方が協力的ならご近所さんを呼びましょう。どうしようもなければ救急車を呼ぶしかありません。一人でなんとかできるものではありません。
でも、救急車って・・・・・おおげさ?
そう思うなら、もう転んだらどうしようと思うような人には訪看さんをつけておいてください。本当にお願いします。

ということで、人生の最終段階にはいろんなことがありますが、いずれにせよ、肩に力を入れず、力を抜いてやっていきましょうというお話です。
ゆるゆるとね。