2022年11月に足の爪を切っているときにうっかり肉まで切ってしまった父。

糖尿病、透析、足の傷、といえば「足の切断」とよくない予感がするものですが、まさにその通りになりました。

12月には痛みで大量のロキソニンを内服する父を気の毒に感じてくださった透析主治医が私に「医療用麻薬を処方してほしい」と依頼してくださいました。

透析主治医がいるのだから私が父に対して処方などすると混乱します。ですからこれまでは父が体の不調を訴えてもとりあわず、「あなたの主治医に言ってください」と突っぱねてきました。透析主治医は私の姿勢を尊重してくださったうえで、今回は私に処方をさせてくださいました。

医療用麻薬は基本的には癌の疼痛のために処方するものですが、2014年から重度の慢性疼痛にも使うことができるようになりました。約15年前、父と同じ糖尿病からの透析患者で重症の慢性疼痛の方に医療用麻薬を使うことができず、さまざまな薬を試したものの効果がなく、その痛みを放置し、苦しめていたことが今もなおつらい思い出で、現在医療用麻薬を慢性疼痛に使えるのは(いろいろな制限はあるのですが)ありがたいことです。

透析主治医のはからいで医療用麻薬と抗生剤を父に処方するようになったものの、実は私は父の足の傷はほとんどみておりません。施設の看護師さんがしっかり対応してくださっているのと、私が診ても処置があまりうまくできないのと、そして何より、父の足の傷を見るのが怖かったのでした。

在宅医療では皮膚科的な処置は結構多いものです。とくに当院は2022年末まで皮膚科の先生がおられたことから皮膚科的な処置が必要な患者さんが多いということもあるのですが、そうでなくても在宅医療の対象となる患者さんは、床ずれ(褥瘡)や、手足の血流の悪さなどによる皮膚科的な傷を持つ人が多いので、私も皮膚の処置は日常的にしております。それでも、父の足の傷は怖くて見たくなかったのでした。また先に言ったように、ガーゼ保護などは看護師さんのほうが断然うまいですし(普段も創処置はするけど、ガーゼ保護などは看護師さんにしてもらっています)、すでにきれいに処置された傷を開けてまで見る意味もあまりありませんでした。もう、治ることがない傷なのです。ただ、悪くならないように感染のコントロールをすることや、外用薬やガーゼなどを切らさないようにするのが私の役目でした。

そして1月お正月明け、透析の先生からとうとう「病院受診してはどうか。足の切断術も含めて検討してほしい」という要請がありました。

1月9日の月曜日にその連絡を受け、施設の皆さんは翌日の火曜日にでも受診したほうがいいというご意見でした。いつもは施設の看護師さんにお任せするのですが、今回ばかりは人任せにはできないと思い、また1日2日急いでも仕方がない状態であると判断し、私がお休みをとれる木曜日に受診することにしました。1日2日急いでも仕方がない、というのは、治る病気であれば急ぐものですが、治らない傷ですから急いだところであまり意味がない、ということです。

そして、1月12日木曜日に病院の皮膚科を受診しました。皮膚科の先生は一目みるなり「ああ、切断やね。」とおっしゃいました。私は何とか足首を残せないかと考えていたのですが、皮膚科の先生の判断は、膝下からの切断でした。

私は父に説明しました。

・足の指が感染を起こしていて、救うことができない。血流が悪く治ることが見込めない。切らないといけない。

・感染を起こしている親指だけを切ればいいというものではない。

・私は足首を残せればと思っていたけど、たくさんの症例を見てきた先生は、膝下から切断するほうが最終的にはいい結果になる、という判断をされている。

・術後は厳しいリハビリが必要である

私は、せん妄状態の父がどれほど理解できるだろうかと思っていました。

父はろれつの回らない状態で話し始めました。

「あのー‥‥オリンピック・‥‥オリンピックあるやろ。」

何のこと?せん妄?何?

よくわからない父の言葉でしたが、よく、よく、聞いてみると

「自分は足を切断しても、パラアスリートのつける一本足のかっこいい義足をつけて、リハビリをがんばる」というような内容でした。

アスリートの義足かあ‥‥。「そこ?」(そこがあなたの関心事なのですか?)という気持ちでしたが、父の気持ちは明らかに前向きでした。

いつも「足を切るようなことになるんやったら、死んだほうがまし」と言っていた父でしたが、いざ、感染症によって生命の危機に瀕する状態になった今、命をとるか、足をとるかという判断を迫られた時には命を守る判断をしたのでした。

2015年に透析を始めた時もそうでした。それまでは「透析なんかになるくらいやったら、死んだほうがまし」と言っていた父でしたが、いざ透析以外に方法がないとわかると、透析を受け入れたのでした。

父の「生きたい」という気持ちは理解できました。これまで足の切断などになるなら死んだほうがいいと言っていたので前向きに手術を受け入れたことに驚きつつも、皮膚科から整形外科に対診をだしていただきました。

整形外科受診を待つ間、私以外の姉妹たち(長女、三女、四女)が「本当にそれでいいのか」と言うだろうなと思い、父に「お父さん、足のことはどういう風に認識しているの?」「先生には何て言われたの?」「お父さんはどうしたらいいと思うの?」などを尋ねながら動画を撮影しました。せん妄があるので、時々話がよくわからないほうに向かうのを修正しながら、父は自分の言葉で足を切るという意思を表明しました。

長くなりますので、また続きを書きます。

重大な決断を今回のうちの父のようにあっさり下してくださる方ばかりではないと思います。あるいはご本人は決められても、ご家族がその決断に同意できないこともあろうと思います。

その決断の難しさをどうまとめていくか、という私が日常的におこなっている意思決定支援。ここからが、正念どころです。