2022年11月に足の爪を切っているときにうっかり肉まで切ってしまった父。

2023年1月には足は感染し、痛みが尋常ではなくなり、痛み止めのロキソニンを大量に飲んでしまったため、透析クリニックの院長先生が私に医療用麻薬の処方を依頼するほど。(透析クリニックは院内処方のため医療用麻薬は処方できなかったのです)

そして透析クリニックから「足切断を検討するため病院の皮膚科を受診してほしい」と伝えられました。

いつも循環器内科でお世話になっている病院の皮膚科を受診すると、皮膚科の先生は一目見るなり「切断やね」とおっしゃり、整形外科に対診されました。父はいつも「足を切るようなことになるんやったら死んだほうがまし」と言っていましたが、いざ本当に足を切らなければ命が危うくなるという状況では命を守るために足を切る決断をしました。

私以外の長女、三女、四女たちに父が自分の意見で足を切ると言ったことを伝えるため、父自身が「足、切るよ」と言うのをスマートフォンで撮影し、姉妹たちに送りました。

1月24日に患肢の血管カテーテル治療をしました。これは、血流がそもそも悪いため、切断後も断端の皮膚が付かない可能性が高いので、少しでも血流を改善して、術後の状況をよくするための治療でした。

1月31日に手術が予定されました。1月28日(金)に姉と私が病院に手術説明を聞きに行きました。姉が言うには、やはり「手術をしないという選択肢はないのか」という声が姉妹の中から出ているのだとのことでした。手術をしないことを求めるその意図としては、「命がもう短いのであれば、足を切ってしまうことなく、このまま父のセルフイメージが保たれたまま、見送るほうがいいのではないか」というものでした。

私の意見としては「そんなアホな。命が短いっていっても、今、感染源の足を切れば今すぐ死ぬわけではないが、感染源の足を残しておけば今すぐ死ぬではないか。」というところですが、いろんな意見があっていいと思いますし、父の決断もまた変わっているかもしれません。主治医の先生に、「足を切らないでほしいという意見が出てきまして。」とお伝えしました。大変優しい主治医は「あらあら、それは。」とおっしゃり、「命と引き換えに足を残す」という非常識な意見を一蹴することなく、丁寧に説明してくださり、足を残すという意見を検討してくださいました。

①足をひざ下から切る(推奨) 

②足指を切るが足首を残す(見た目はあまり変わらないものの血流が悪いので断端はくっつかない)

③足を残す(感染症で命を落とす)

に関しての主治医の意見を聞きました。

①を選んだからと言って必ずしもきれいに断端がくっつくとは限らないし、さらに膝上まで切り足すことになることもある、と言われました。それでも、きれいに断端がくっつけば、お風呂に入ったりする日常を取り戻せるのは①の選択肢だけでした。

②で、足指を切って、感染源は切り落とすので命は助かるし、見た目は大きく変わらずスリッパを履けば一見ごく普通に見えるものの、切った後はずっと断端がくっつかないで、ずっと処置が必要になるということも検討されました。

③で命は落としても最後まで自分らしい自分の姿で旅立つということについても検討されました。

姉も主治医の先生の意見を聞き「やっぱり、お風呂に入れてあげたいよなあ」と言っていました。最終的に父の意見を聞こうということになりました。

父に①から③の選択肢を示し、どうしたいかを尋ねました。父は急に出てきた「足を切らない」という選択肢に驚き、戸惑っていました。そして長く考えたままでした。

私は「お父さん、決められない?」と尋ねると父は「うん。決められへん。」と言いました。私は「今日、決められなかったら、また別の日に考えようか?」というと絞り出すような小さな声で「別の日ぃにする」と言いました。

私は「じゃあ、決められないってことで、置いとくね。一応手術は予定をこのまま入れておいてもらって、手術できるように準備はしておいてもらうからね。」と言いました。父はうなずきました。

主治医の先生には「先生、父は今は決められないということですので、手術前日の月曜にまた来て聞きます。すみません。手術はこのまま実施する方向で予定を入れておいてください。」とお願いしました。

「実は、最近、私、この『決められない』って選択肢、めっちゃよく使ってるんです。ものすごく便利ですよ。」とちょっと自慢しました。

命にかかわるような決断について「決められない」ということはよくあります。それを医療者は「早く決めてください」「ご家族で相談して決めてください」など決断を迫ります。

もちろん手術など予定を入れて行うことなどは決断しなければ準備ができませんから、決断してもらわないといけないのですが、私は「決められない」という選択肢を入れるようにしてから、多くの決断が容易になってきたと感じています。

「決められない」を選択した場合の結論は「なし崩し」になります。ただ、「決められない」を選択するとき、何度もともに揺れながら「どう考えるか」を繰り返し話し合うことになります。これは究極のACP(アドバンスケアプランニング)になると思っています。

今回で言うと、「決められない」を選びましたが、手術は予定通り準備しておいてもらうので、最後まで「決められない」ままであっても、なし崩し的に手術は行われることになります。

私がよく遭遇する状況としては積極的治療をまだ続けるか、もう終了するかの選択です。「決められない」ままであると、なし崩し的に治療をしないまま時が経って、治療をする機会はなくなってしまうものですが、「治療をしない」と決めるのも当事者としては怖いのです。その揺れる気持ちにともに揺れ続けるのです。あるいは胃瘻を作るかどうかの選択。「決められない」ままであると、なし崩し的にいつまでも胃瘻を作らないままになります。その状況でできる範囲のことをしながら、ともに揺れ続けるのです。揺れ続けるという作業が必要で、「正解」を突き付けるのではないのです。

さて、父の話にもどります。

手術前日の1月30日、月曜日に病院に行きました。主治医の先生は「なんか、手術しないって言ってるらしいですよ。」と笑いながらおっしゃいました。あららー。困ったなあ。

父が来ました。「お父さん、手術どうする?」というと「俺は手術せなあかんと思ってたけど、誰かが『もう手術せんでもええ』っていうから。」と父が答えました。

私は「ちゃうやん。手術せんかったら、死ぬけど、死んでもいいんやったら手術はせんと、足を残すっていうのとどっちがいい?ってことやん。」と言いました。すると父は「そら手術するよ。」と即答しました。主治医の先生と私は顔を見合わせて口には出さず「よかった」と思いました。

私は手術室に向かい、麻酔科の元上司に会いに行きました。ちょうど手術室のインターホンを押そうとしたときに、上司が手術室の前にやってきて、私たちは偶然会えたことに喜びました。父のことを心配してくださり、そして麻酔計画についてお話してくださいました。本当に信頼できる実直な麻酔科医である上司が麻酔をしてくれるので、私は安心してお任せできました。

手術当日1月31日。面会はできないことはわかっているので私は手術室前に行ってしれっとベンチに座って待っておりました。

父が来ました。私は「すみません、尾崎でしょうか。」と近寄りました。すると看護師さんが「奥さんですか?」と尋ねたので内心「オイコラ、だれが奥さんやねん。」と思いながら「次女です。」と言い「お父さん、行ってらっしゃい」と言いました。

この場合、正解の声掛けは「ご家族さんですか?」です。皆様、お気を付けくださいませ。笑

私が父に会ったのは、これが最後です。2月23日現在、父は入院中です。昼夜逆転で夜中に点滴を抜いたり、予想通りの暴れっぷりです。足の断端からはMRSAという抗生剤が効きにくい菌が検出されて、難渋しているそうです。

2月21日に父から電話が姉にあり「これは、歩けるようになるんは死んでからやねえ」と父らしいユーモアの言葉が聞かれました。私も電話に出て「昼夜逆転してるらしいやん。」と言うと「おう。」と言っていました。な~にが「おう」なんだか。そして「お前ら、よしこには最近会ってるんか」と言いました。あらら。母は2017年に亡くなっているのだけど、忘れちゃったかな。私が返事をしないでいると、父は自分で「あ、よしこ、死んだな。死んどったな。」と記憶を取り戻しました。

現在住んでいる施設のケアマネジャーからは病院の主治医から聞き取った病状説明を知らせてくださり、そして退院後はまた施設のほうで私が診れるかという質問状が来ました。私は「私が訪問診療するのは簡単なことですが、貴施設が患者を施設として受け入れられるのか、介護負担が大きいですが、大丈夫でしょうか。」と返事しました。

父の話はいったんここで終了いたします。このあと、父の傷はきちんとつくのでしょうか……。その気持ちはありますが、なるようにしかなりません。

人生って色々あるなあ。