人生の最終段階になって「食べられない」時がくることがあります。本人に食べる意欲がある場合も、ない場合もあります。本人が自分は食べられないのだという自覚がないこともあります。そんな時はどうすればいいのか、本人も家族も途方に暮れることがあります。
よくあるストーリーとしては、ご本人が飲み込みが悪くなっていることの自覚がないまま、誤嚥していて、肺炎を発症するというものです。熱がある。そして喉がゴロゴロと音を立てている。病院に行くと誤嚥性肺炎の診断がついて、絶飲食で抗生剤治療が始まります。
治療の結果、肺炎は治癒しました。あるいは肺炎は常にあるのでこれ以上病院にいても仕方がないですと言われました。
食べると誤嚥するので、食形態を固形から液体への飲み込みができるものへと変えていきます。
そして全ての食事がポタージュ状になります。味はおいしいのですが、見た目で食欲がそそられないということはあります。どんどん食べる量が減ってきました。一口食べるのも精一杯ですが、それでもむせやすい状態です。
そして治療としては終わりました、とにかく退院ですと言われます。でも食べられません。どうしたらいいのでしょうか。

このストーリーの中で悪者は1人もいません。病院のスタッフは懸命に治療を行い、ご本人も懸命に療養します。
でも実際にはこのお話のようなことはよくあることです。
胃瘻を作りますか?と病院の医師から言われることもあります。ご家族が高カロリーの輸液をしてほしいと求めることもあります。
こんなことは初めてなのに、次々と決断・判断を求められます。
このように「もう食べることができない」という状況の時にそれを伝えなくてはならないという場面が医療者にはしばしばあります。


『コミュニティケア』2024年11月号にもう食べられないときの悪い知らせの伝えかたについて寄稿させていただきました。
日本看護協会出版会の編集様が私が提案する「悪い知らせの伝え方」にご注目くださり、もう食べられないときの「もう食べさせることができません」という悪い知らせをどう伝えるかと言うことについて書いております。
どうして悪い知らせを伝えないといけないのか?それは何のためなのか誰のためなのか?
ケアスタッフの都合による悪い知らせを伝達であってはなりません。
辛い現実にハードストライクするのではなく、軟着陸するための悪い知らせでなくてはいけません。相手を温めるための悪い知らせの伝達でなくてはなりません。
そのようなことが書いております。
月刊誌ですので、お早めにお求めください。
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