今日の患者さん。
脳の病気でどんどん動けなくなっている方。発語もほとんどなくなってきました。食事でのむせも増えてきました。若いだけにこれからが長いわけです。
ご家族に「食事が入らなくなってきたら、どうされますか?胃瘻という選択肢があります。」と説明。
ごく、朗らかに「胃瘻をお願いします。」と奥様。
ほんまに分かって答えていると思えない軽さ。
ご本人に説明して希望を尋ねてみました。ご本人は自分で喋れないので、手をにぎったり離したりで意思表示してもらいました。
すると、ご本人は胃瘻を希望しないということ。
ご理解もどこまで?ということもあるので、参考とさせていただくけれど、結局は奥さんの希望が通りそう。
奥さんには何度も説明をしました。胃瘻を選択することは悪いことではないが重い責任を伴うものであるということ、現在若いだけに胃瘻を選択すれば長い経過になること、そしてその経過中奥さんだって年老いてくるということ、もし胃瘻を希望するのであれば最終段階ではなく、早めにして「元気を維持するための、口から食べることができる体力を維持するための胃瘻」を目指して欲しいということなどを説明しました。
今回入院をすることになり、そこで胃瘻を希望するならそれを検討するようにと情報提供書に書きましたし、奥さんにも伝えました。
そして1ヶ月の入院ののち、退院してきたときには胃瘻は作られていませんでした。
なぜ?作るなら早い方がいいのに?
奥さんはその後いろいろ聞いてみて考えが変わったのだということでした。
友人に聞いてみたら「~~君だったら、胃瘻とか嫌がるんじゃないかな」とみんなに言われたのだそう。
お医者さんは「簡単に作れますよ」と言ったし、看護師さんも「難しくないですよ」って言ったし、みんな勧める方向だったけど、ヘルパーさんは「自分だったら嫌」と言っていたのだそう。
私は「推定意思」ということを説明しました。
もし、元気で病気をする前の現役時代のご主人だったらなんというか。
「全部奥さんに任せるよ」というか「自分のことだから自分で決めたい」というか
「助かる手段があるならそれをしてほしい」というか「そこまでして生きたいと思わない」というか
いろいろお聞きしたら「主人は自分のことは自分で決めると思うし、私の意見なんて聞かないと思う、そして主人だったら『そこまでして生きたいと思わない』というと思う。」とおっしゃいました。
このように胃瘻を作る、胃瘻は作らない、難しい問題ですが 現状はまだ自分の口で食べることができているし 胃瘻を今すぐに作るかどうか決めるという状態ではありません。
まだ時間がある中で大切なのはこのように「揺れること」です。
ああだろうか、こうだろうか。
揺れながら最終的な結論にたどり着くのだろうと思います。
私たちは揺れながら結論にむかう患者さんとご家族とともに揺れていく役目です。最初から結論待ちにならない。一緒に揺れる。これはとても大切なことだと思います。
***それはそれとして、嬉しかった話***
この患者さん、初診からずっと私たち訪問スタッフを丸っきり無視してきました。話しかけてもまだ喋れる時期でも無視。目も合わせず。話ができなくなっても無視。
でも、胃瘻の問題が出てきて、ご本人に説明しつつ、意思表示を確認するようになった頃から徐々に目が合うようになってきました。
退院してきて今日の訪問時には「退院、おめでとうございます」というとこっくり頷いてくださいました。
そしてそれから奥さんと胃瘻についてお話をしておりました。
その後ご本人に胃瘻の説明などしたら頷きながら話を聞いてくださいました。
そしてお家を出るときには会釈をしてくださいました。
「自分の意見を聞いてくれる代弁者だ」とみてくださっているのでしょうか。
奥さんとご本人のお気持ちが揺れながらも最終的にいいところでおさまりますように