私は2020年6月に真宗大谷派で僧籍をいただきました。
そのご縁で、2020年9月2日、3日東本願寺にて、NPO法人ビハーラ21の奉仕団に参加し、2日にわたり講演をさせていただきました。
東本願寺といえば、真宗大谷派の本山です。その本山で講演させていただくなんて、本当にありがたいことでした。
タイトル
1 医者の私がお坊さんになったわけ
2 看取りのおはなし


写真は左から岡山、私の師である清住職、私の兄弟子でビハーラ活動を頑張っておられる三浦先生

1日目は午後から。
講演を東本願寺内同胞会館にてさせていただきました。
「医者の私がお坊さんになったわけ」については10月に発売される月刊KADOKAWAにエッセイを書きました。もしよろしければぜひご購入の上(←ここ大事)、読んでいただけると大変うれしいです。
今回の講演ではこの「僧籍をとった理由」というよりは、自分のしていることが、苦しんでいる人を支援するという仕事であり、人の心の中にある「黒い気持ち」を当たり前のものであり、その当たり前に出てくる「黒い言葉」を受け取り、一緒に「黒い涙」を流す仕事であるということをお話ししました。
自分が善人ではなく悪人であり、悪人が極楽浄土に往生するには阿弥陀様におすがりするしかないという浄土真宗の考え方は私にはとても魅力的にみえます。
私自身が黒い汚れた一面を持つ人間であり、まさに凡夫であるからです。
その黒い汚れた自分だからこそ、黒い気持ちが大きく、苦しんでいる人を支援することができるのだと思っております。

講演後は夕食、そして懇親会。
懇親会では、僧侶の皆様とざっくばらんに意見を交わしあいました。たのしい時間でした。

また2日目は朝から阿弥陀堂、御影堂でおこなわれる御勤めにも参加させていただきました。多くの門徒さんが参加されておられ、信心深い皆様に混ざって私のようなものもご一緒させていただき光栄でした。
朝食の後、2日目の講演をしました。これはいつも亡くなりゆく方のご家族にしている「看取り勉強会」の内容です。
僧侶の皆様にグリーフケアをしていただきたいけれど、亡くなってからのかかわりではなく、介護保険の申請が必要になったころから、つまり「弱り」がでてきたころからかかわりを持ち始めてもらうのがいいのではないかと思います。
そのためには「人が亡くなっていくときってどんな風に亡くなるの?」ということを知っていただき、「死にゆくことは怖いことではなく、日常生活の中で起こることなんだな」と知っていただけたらと思い、お話しさせていただきました。

講演後の質疑応答も活発でした。
前日の懇親会で十分温まっているので、どんどん意見が出てきて大変うれしいことでした。

写真はグリーフケア活動も含め教育活動をされておられる松本先生と岡山

昼食後、奉仕ということで清掃奉仕をしました。これが、清掃奉仕と言いながら、御影堂門(烏丸通からの正面の大きな門)の2階に上がらせていただけるという、素晴らしい特典。釈迦三尊像を拝観しました。釈迦如来、弥勒菩薩、そして阿南尊者の三者という珍しい釈迦三尊でした。阿南尊者は仏様ではないので、鮮やかに彩色されているのが非常に面白かったです。



写真は借り物です

その後、東本願寺の中でも書院などの施設を拝観しました。こんなにたくさん見せていただき、奉仕というよりお楽しみばかりで申し訳ないくらいです。

同胞会館に掲示されていた法語。
「私は正しい。争いの根はここにある」
ギクッ!

素晴らしい経験をさせていただきました。