あけましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いします。
年末に、ホームページのサイトのプランを変更しましたら、なんと、ブログが真っ白になってしまいまして、結局HPビルダーの方に復旧していただいたのですが、なんとURLが変わってしまい、多くの読者を失ってしまいました。
さみしい限りですが、また一からやり直し、多くの方に読んでいただける味わいあるブログを書いていきたいです。
去年は修行の年で、つらいことも多くありましたが、それでも多くの収穫も感じられた一年でした。
●バッドニュースコミュニケーション塾を開講。看取りの安心勉強会プロバイダー養成講座から新装開店。医学書院の雑誌『訪問看護と介護』でも「バッドニュースコミュニケーション塾」を連載いたしました。医学書院小池倫平さんには大変感謝申し上げます。
●講演は24回いたしました。どちらの会場でも在宅医療や終末期医療についてのお話なのですが、よく笑っていただきます。人が亡くなるお話なのに、笑っていただくのです。そう、在宅医療における終末期医療は怖いものではなく、生活の中の生、生活の中の死なので、穏やかで明るいのです。
●「看取りの安心勉強会」は何度したことでしょうか。亡くなった方の人に対してほぼ全員のご家族に対してしていますから、ざっと50回はしているでしょうね。今年は看護師も何度かしてくれました。さらに看取りの安心勉強会を実施できる人を増やしていきたいです。
●グリーフケア勉強会は今年も7月から6回のシリーズで開催しております。医介宗勉強会も隔月で年6回開催しています。
●1月26日にふじみ野市で、在宅医が猟銃で患者家族に殺害される事件がありました。それをうけて、2月末に当院勉強会の参加者でワークショップを実施しました。
終末期状態に胃瘻を作ることの是非は大いに議論されるべきと思うのです。しかし、以前は「終末期状態になって胃瘻を作らないなら即退院してもらう」のように、「医療が胃瘻を押し付けること」が横行していました。今は「終末期状態になって胃瘻を作るのは、本人にとって苦痛を与えるだけだ」という「医療が胃瘻という選択肢を奪うこと」が横行しています。そのどちらも医療者による医療という名のもとの暴力であると感じます。胃瘻を選ばないことも、選ぶこともともにでき、そのいずれを選んでも「よかったね」といえる支援が必要だという結論になったワークショップでした。
●中京区の医療介護連携支援センターのお仕事、在宅医療センターのお仕事、京都府医師会のお仕事(広報委員会、地域連携委員会)など地域の中での活動も多く参加いたしました。
2022年は1月3日、2023年は1月1日の発熱外来に出動です。
京都市からの要請でコロナ患者の往診も多く行きました。
●日本在宅医療連合学会で、評議員として、コロナワーキンググループに参加しております。また今年の年次大会では座長をいたしました。一般演題の座長のテーマは災害医療。自分ではあまり興味がない分野なので、座長でなければきっと聞き逃していたことと思うのですが、各医療機関や施設で災害に対する細やかな対応を準備されていることを知り、大いに触発されました。
さらに、日本在宅医療連合学会第4回地域フォーラムでも、実行委員として活動いたしました。
この時、梅山信先生とともに日本在宅医療連合学会近畿支部を創設にかかわり、大阪兵庫、和歌山奈良、京都滋賀の3ブロックに分かれてイベントをいたしました。
大阪兵庫は白山宏人先生、清水政克先生を中心に「ピンコロ劇場」ver4のスピンオフを上演してくださいました。
和歌山奈良では中谷匡登先生を中心にリハビリの自助具作成のリーダー育成のワークショップをしてくださいました。
京都滋賀では鵜飼亜由美さんを中心に地域における臨床宗教師の役割についてのシンポジウムをしてくださいました。
お名前は上がっていませんが、多くの皆様、特にエンドオブライフ・ケア協会でご縁をいただいた皆様には大変お力を貸していただきました。大変感謝しております。ありがとうございました。大人になって友達と呼べる人たちと出会えるというのは、ありがたいことです。
●訪問看護ステーションの設立いたしました。設立にあたり、看護師さんを求人しましたが、人を雇うとは難しいものです。世の中の社長さんはみんな頑張っているのだなあと頭が下がる思いです。
●新規で医師が一人ご入職いただきました。ありがたいことです。納得医療をさらに推し進めてまいります。
●2月には京都市伏見区の高安医院さまにて、医療機関が介護施設を運営することについてお話を伺いました。本当に大変そう・・・。
12月には念願のたんぽぽクリニックの見学に行きました。たんぽぽクリニックの永井先生のおっしゃることは本当にいつも「そう!」「その通り!」と納得の言葉ばかりで、その永井先生が運営されているクリニックの見学には長らく希望していたものの、コロナ禍で延期、延期が続いていました。看護師長とともに見学をし、改めていい医療機関を作りたいという気持ちがわきました。永井先生をはじめ皆様の歓待に感謝いたします。
●1月末、実家の隣人であり私たち4姉妹の育ての母であるちゃあちゃんが亡くなりました。急な旅立ちで、常から「ピンピンコロリがええわ」と言っていたちゃあちゃんらしい旅立ち。
ちょっと早い節分の巻きずしをみんなで喜んで食べたあと。そのときにいっしょに巻きずしを食べていた大親友であったおばちゃんも、1週間後に亡くなったのだそう。この時うちの父はちゃあちゃんの遺体に対面することなく葬儀にも出席することなく京都の施設に戻りました。大好きな人がどんどん亡くなる中、向き合うことができない父。父らしいふるまいで、(私以外)誰も父を咎める人はいませんでした。
●通信教育で受講している僧侶の学校の期末試験が5月にありました。この頃私が1人で自動車を運転しているときのBGMはお経(正確には正信偈=しょうしんげ=はお経ではありませんが・・・)でした。音痴で耳からの情報の処理が下手なので、お声明=おしょうみょう=はニガテなのです。年が明けると、期末試験の勉強が迫ってきます。がんばります。
●恩師が当院を訪ねてきてくれました。私は医師になってから「恩師」と呼べるような関係の先生はあまり多くありませんが、京都府立医大集中治療室の橋本悟先生は、医療のことについても、人としてのふるまいについても多く教えていただいた恩師と呼ばせていただきたい先生です。橋本悟先生がご退官され、当院を訪ねてくださいました。
また、学生さんが見学に来てくださったり、近隣の病院で一度撤退した訪問診療事業に再度挑戦するということで、訪問診療未経験の先生が訪問診療にご見学しに来られたりもしました。地域で訪問診療の輪が広がることが期待されます。