懐かしい患者さんのお話。
これも千春会卒業の時に書いたお話。
ぶっきら棒な息子さんと糞尿をいじるお父さんのお話です。
お父さんは認知症。
息子さんはおそらく脳梗塞後で半身麻痺がありながら
お一人でお父さんの介護をされていました。
息子さんは敵対心持っておられるのかと感じてしまうほどのぶっきら棒さ。
前任の訪問診療医と同行した時もほとんど口をきかず、
処方箋さえ受け取ればそれでいいという感じでした。
この患者さんは認知症で弄便(ろうべん=便をいじること)がある方でした。
自分の親がオムツ生活であるだけでも介護は大変なのに、
介護するご家族も身体不自由でおまけに便をすると
オムツから出して壁や布団になすりつけてしまうのです。
この「どうしようもなさ」感を誰にもわかってもらえないつらさは
当事者にしかわからないのだろうなあと思います。
私自身もわかっているなどと軽々しく言うことはできません。
この息子さんはお住いの家をとても綺麗に整えておられました。
糞尿のすえた臭いはしませんでした。
お父さんの手を見ても爪はきれいに切っていて、
便が溜まったりしていることはありませんでした。
本当に文章で書くことはたやすいことですが、
日に何度もオムツ交換があるご家庭を
糞尿の臭いがしない状態に保つのは大変なことです。
お父さんに対してもきつい言葉でぶっきら棒なご家族でしたが、
親身で心配しているのは本当によくわかりました。
私たちも息子さんが顔を背けながらぼそぼそとお父さんの具合の悪さや
分かりにくい体の訴えを伝えてくれるのを真摯に受け止めて
対応を重ねているうちに、徐々に息子さんは診察の時に私たちのそばまで来て
お父さんの症状を説明してくれたりするようになってきました。
息子さんがお父さんの介護についてぼそりと大変さを漏らすことがありました。
私たちは「息子さんの介護は、プロの目から見ても本当に素晴らしいものです。」と何度も何度もお伝えしました。
その時は息子さんはほんの少し口の端を歪ませるようにニヤリと笑いました。
こうしてお付き合いしているうち、数年が経ちました。
数年経つと息子さんは心開いてくださるようになり、
診察の日には玄関の鍵も開けて待ってくれるようになりました。
ある時、息子さんが缶コーヒーを2本用意してくれていて、
私と同行の看護師にくださいました。
恐縮して遠慮する私たちに、息子さんはぶっきら棒に「ジャパ~~ン!」と言いました。
キョトンとする私たちに「二本!」と言ってニヤリと笑いました。
こんな冗談を言ってもらえるなんて思っていなかったので、
私たちは大笑いしてありがたくコーヒーを頂戴しました。
この患者さんも肺炎で入院し、退院のタイミングで訪問曜日が変わり、
主治医が交代になりました。最後は入院して病院で亡くなられました。
息子さんはご自分がお父さんを並々ならない丁寧さでみておられたので、
他の人がお父さんを雑に扱ったりするのがたぶん許し難かったのだろうと思います。
丁寧な診察、訴えをこまやかに聞いて対応することを繰り返すことで
息子さんの心のドアを開けることができたのだろうかと思います。
固く固く閉ざされたそのドアが開き信頼してもらえたと思えた時、
本当にうれしかったです。
この方も私の大切な師匠です。