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お知らせ

2025年6月 中国介護施設見学研修

2025年6月24日より4日間、中国の介護福祉視察ツアー、北京の認知症ケアに焦点を当てた3泊4日の視察交流ツアーに参加しました。。
何よりも、留守を守ってくださったスタッフの皆様に心からの感謝を伝えたいです。
佐々木淳先生を団長として・・・なんですが、ツアーコーディネーターの王さん、福祉専門通訳の朴さんが細やかに率いてくださって通訳してくださいます。
コロナ前と比べると、中国の社会環境は完全キャッシュレス、グーグル、フェイスブックなどのネット規制など変化が大きいと言います。
不安も少々ありながら、ツアーにべったりだったので、大きなトラブルなく帰ってまいりました。


2025年6月24日(火)初日は広大な緑地の中に建つ介護施設を運営する法人「長友」の施設を見学しました。
自立の棟では90歳のおばあ様が、元気よくたくさんたくさんお話ししてくださいます。栄養状態がいいためか、みなさん円背ではなく、背筋がシャンとされているのが印象的。
「日本でこの状態なら、自宅での生活をつづけているだろうな」と思うくらいの元気さ。夕方からは散歩をするんだとおっしゃっていました。緑地の中を散歩するのは気持ちがいいでしょうね。
庭は美しく整備されていて、本当に清々しいのですが、なんと38℃の暑さ。
認知症の棟、要介護状態の棟それぞれに弱りを抱えた方がいました。
居室の前には入居者の紹介カードが貼ってあります。
運動神経抜群とか、学識広いとか、書道の達人とか、ピアノが上手いとか、特技ばかりではなく、慎重に歩くことが大事で安全第一とか、美味しいもの大好きとかも。
これはその方の尊厳を大切にしているのだなと思いました。
当院の「ココカル」でやっている「キラキラを探そう」という尊厳を言語化するワークと同じだなと感じました。
この尊厳カードはいいなあと思いました。
認知症で、最初はすごく荒れている方にもこのかたの特技や素晴らしいところを毎日のように褒め、「愛してるよ」と語りかけるうちにだんだん落ち着いてこられるのだそう。
また、入居者は与えられるばかりではなく、特技のピアノを弾いて他の入居者が歌ったりなど自分にも役割があることが大切にされているようでした。
高齢になればできることはないと決めつけずにできることを大切にする「エンパワメント」の考え方が実践されているのを素晴らしいと思いました。
食べられなくなれば7割の方が経管栄養になると聞き驚きましたが、アジアの文化圏はそれが自然なのかなと思いました。
夕飯はこの長友のビュッフェをいただきました。わりとこってりした料理もありましたが、高齢者も結構しっかり食べるのだそう。食を大切にする国なのだなと思いました。

2025年6月25日(水)北京ツアー2日目。
この日は地域密着型の施設を見学しました。
北京の中心街にある地域は団地が立ち並びます。おそらく1980年代(またはもう少し古くも見える)に建設された団地は、10階建てくらいの高さながら、エレベーターがなく階段で移動するものです。
当時のソビエト連邦スタイルだそうです。団地と団地の間には気持ちのいい大きな緑地があり、どこかで見たような感じ・・・・そう、日本でいうところの「UR」によく似ています。URもまた旧ソ連型の作りなのだそうで、似ていて当然なのだそう。
エリア的に便利な場所にあり、一応「高級住宅街」ということなのですが、老朽化が著しい。高齢化することを考慮せずに建設された中高層ビルに住む人たちはエレベーターのないこの生活を維持できない高齢層です。
街の入り口には門があり、門の前には宅配便預かり所があり、スマホで読み取って自分の荷物を引き上げていきます。
この配達システムは日本でも採用されたら(ある程度の集落の中の例えばコンビニで受け取るようにする、各住居に個別配送しない)いいのではないかなと思いました。
この住宅街にあるデイサービスは昨日案内していただいた高級老人ホーム群とは異なり、設備も高級ということはありません。しかし、デイルームには日差しが降り注ぎ(黒い蚊帳のようなもので覆って眩しすぎないようにはしています)、明るく気持ちいい空間でした。
ショートステイの室内は小さく2人部屋で、ベッドを置いたらあとは歩く場所くらいしかありません。昔の日本の病院の2人部屋のような印象でした。
小さい部屋ながらも清潔で気持ちよく整えられていました。
ショートステイは大体60日程度の滞在を想定されているとのことで、脳梗塞後のリハビリが最も多いということでした。
昨日の高齢者施設の自立の建物にいた人たちよりもググッと弱っていて、「日本の施設にいる方と同じくらいの弱り方だな」と感じました。
中国と日本の歴史を思うと心が痛いのですが、おそらく80歳から90歳くらいかと思われる方が「おお!日本(リーべン!)」とおっしゃりながらも歓迎のお気持ちを伝えてくださったのが、心からありがたかったです。
昼食はこの施設のランチをいただきました。
中国ではどこでも「たっぷり」と出していただけるのでやはりこの日のランチも私には完食はとても無理な量が出てきて残してしまいましたが、本当に美味しくいただきました。
ブロッコリーの炒め物、セロリの炒め物の餡かけ、魚のフライの餡かけ、黒米、美味しいトマトとスイカ、ヨーグルト。
午後からは故宮博物館に行ってきました。
てっきり建物内を観覧するのかと思っておりましたところそうではなく、延々と広い縦1km横700mの紫禁城内を歩くのでした。
気温は39℃。歩いているうちに「もしかしたら私は少ししんどいのかもと思ってアップルウォッチを見たら脈拍が140bpmまで上がっており「そりゃーしんどいと感じて当然だよね」と思い、水を飲み、その後休憩をとっていただいたので落ち着きました。
故宮博物館に行く直前にトイレに行きました。公衆トイレでして、紙は自分で持っていないと困るタイプのところでした。慌てて同行の川口さんに紙をいただき、難を逃れましたが、このことがあり「トイレに注意」と思って飲み控えていたのでした。
故宮博物館は東大寺をスケール大きく色鮮やかにしたような感じ。東大寺は隋唐の時代ですが故宮博物館は明清時代です。明の時代はちょうど日本でいう室町時代くらいでしょうか。中国の歴史(紀元前3世紀ごろには漢が成立していたわけで)から見ると、ごくごく近代のものですが、愛新覚羅溥儀が退位したのが1925年。今年がちょうど100年だそうです。
途中はぐれてしまう人がいたり、路上駐車を最低限にするため急いで乗車したら5人くらいバスに乗れないグループがいたり、なかなかハプニングでしたが、みなさん自立した大人の集団なので余裕を持って対応されていました。
私の方は途中から通信の障害があり、かなり凹みました。自分が通信環境にいかに普段守られているかを実感しました。
故宮博物館の後は、前日に施設を見学させて下さった馮(ひょう)さんのプライベートの美術館をご案内してくだいさいました。
建物に続く小路には、大小様々な木の根っこが置いていました。何だろう?
また、建物入り口には、大きな美しい石が置いてあります。これ、台湾の故宮博物館にある「ベーコン」だ。
そのベーコンの巨大なのが2つ、無造作に屋外にディスプレイされているのでした。「何でも鑑定団」に出したい。。。いくらつくのだろう。
室内には巨大なテーブル、巨大な木製のレリーフ、彫刻などがあります。
美術館というので絵画などがたくさんあるのかと思っていたらそういうわけではなさそうです。
ぐるり館内を見てから4階に上がると、馮さん親子がいらっしゃり、果物で歓待してくださいました。この果物はとても美味しかったので、延々とおかわりしたいくらいだったのですが、その後北京ダックの夕飯が予定されていたのでぐっと堪えました。
果物での休憩の後、あらためて館内を案内していただきましたところ、ここは楠徳美術館というもので、くすのき(日本の楠とはちょっと種類が違うそうですが)の古木を磨くと美しい錦糸のような紋様が出てくるのですが、その楠の古木を使った美術品のコレクションを見せてくださっているそうです。あまり人が来ても嫌なので、宣伝はしていないものの、年間約1万人程度の来館があるそうです。
巨大なレリーフは2層3層構造で、1枚板から掘り出されています。
元々この建物は超一等地にある米国のビザ発給所だったのを買い受けて美術館にしているそうなのですが、レリーフのサイズがピッタリと建物のサイズに合っていて「奇跡のマッチングだ」と言っていたそうです。
心大きな馮社長親子に感謝をお伝えし、退去いたしました。退去時に入る時に「何だろう、この木の根っこは?」と思っていたもの、それはこの楠の原木で、磨くと価値の高い美術品になるものなのでした。雨ざらしですが盗難は大丈夫なのでしょうか
最後はお店に移動し、名物の北京ダックをいただきましたが「なんぼ出てくるねん」というほど数多く料理が出てきました。
美味しくいただき、ビールもいただき、楽しい時間を過ごしました。
昨日に引き続き、夜の飲み会があったのですが、私はおとなしく参加せず。みなさん元気だなーと思いました。

2025年6月26日(木)北京3日目
35人の大所帯で、実はまだお名刺交換が済んでいない人もいると思われます。
本日は官立民営の介護施設を見学しました。「復健之家」という名前の通り、リハビリをしていて、日本でいう老健の立ち位置なのかなと思います。
建物は1970年代ですが、リフォームをしてそれほどの古さは感じられませんでした。
内装でいえば初日の高級老人ホームよりも「今風」かなと感じました。
入所者は100人ということですが、理学療法士と作業療法士を合わせて4人で頑張っているそうです。
マシーンは新しいテクノロジーを感じさせるものでした。
集団訓練の機械や清華大学と研究している機械が入っていて、その大学と研究している機械は使用料が約4000円、ただし医療保険が適応で0割〜1割負担なのだそうです。
他に、お馴染みの平行棒や階段、生活動作を増やすリハビリ器具などもありました。
クラブ活動ではアート系のものが活発らしく、トイレットペーパーを着色して糊で固めたものを敷き詰めていく作品などを作ったり、油絵を指導者の元で合作したりなどされているようでした。


費用は月20万円+食費+リハビリ代などで、初日の老人施設よりも高額でした。
やはり現状は高所得者のみの利用ということのようです。
さらに別棟も見学しました。
こちらは地域に開放されているコミュニティスペースでした。
システムセンターには現在地域の老年人口が1.1万人、失能0.14万人 10.69%、独居老人 0.05万人 3.88% などの情報がアップされています。地域の状況を把握した上で訪問看護や訪問サービスにつなげたり、地域の高齢者を通所でリハビリしたりなどしているということでした。
ランチはこちらの施設でいただきました。
ここもビュッフェ形式で、午前7時くらいに朝食を食べて11時過ぎにランチではあまり食べられそうにないな・・・と思っていましたが、美味しそうなおかずの誘惑に負けてまたたくさん取ってしまいました。
地元の老人がいらっしゃり、いつもリハビリをして、帰りに食堂で食べて帰るのだそう。料金は量り売りで、高齢者は国からの補助が出て安く食べられるのだそうです。
おじいさんはお皿いっぱいにモリモリ盛っていて、これで500円程度で自分にとってはそんなに高くないので食べて帰るとおっしゃっていました。
本日は午後から「認知症ケアのシンポジウム」がありました。
中国の日本大使館の方々も参加していただいての会。初日に老人施設を見学させてくださった馮社長も来てくださっていました。
佐々木淳先生、加藤忠相先生、洪立先生、李冬梅先生、山国秀幸先生が登壇されました。
佐々木先生からはエビデンスを基に「これからは認知症がある高齢者が当たり前の時代になる」ということを説明されました。
加藤先生からはあおいケアのケアについて説明されました。地域の人が当たり前のようにあおいケアの敷地を通行し、子供たちが遊びに来て、高齢者を楽しませるのではなく高齢者が地域を楽しませる、高齢者の居場所と役割があることを説明されました。
洪先生、李先生からは中国のケアの実情をお話ししていただきました。李先生は初日の高級老人ホームの院長で実例をたくさんあげてくださいました。問題行動を起こす入居者が、時間の経過とともに穏やかになる様子。熱意ある介護の現場のひた向きな様子が語られました。
実際には多くの問題があって、家族の意向なども難しい問題であることなど課題も挙げておられました。しかし、私たちが2000年から25年かかってたどり着いた道のりを半分の時間で踏破しようとしている勢いの凄さに驚きました。
その後、映画ケアニンを鑑賞しました。
実は私は以前も鑑賞しておりましたが、今回も感動いたしました。
介護とは、認知機能が低下した高齢者を邪魔にすることでも、隔離することでも、管理することでもなく、看取りケアとは(なすすべなく座して死を待つことではなく)最後の時間まで生き切ることだと劇中で語られていました。
このような「業界では当然」な概念が、一般市民にはまだまだ知られておらず、老い、死について広く啓蒙するのは大切なことだと思いました。
最終日は羊肉のお鍋でした。
今日もまたたくさん食べてしまいました。
そして今日もまた飲んでしまいました。
美味しいものをたくさんいただき、ありがたいことです。
様々な中国の介護現場を見せていただく機会を作ってくださった運営の皆様には心から感謝いたします。

2025年6月27日(金)北京4日目
この日、朝6時集合で、有志と朴さんとで、日たん(土へんに云)公園に朝の散歩に行きました。
太極拳をされている女性がいらっしゃり、いっしょに体験させていただきました。
地元の人との交流の機会はなかなかないので、ありがたかったです。そして楽しかったです。
その後、万里の長城に行きました。
道中、今更ながら自己紹介をいたしました。
参加者とだいたい仲良くなった後だったので、いっそうその人となりがよくわかり、いい自己紹介の時間でした。
さて、万里の長城はすごい建造物ですね。私の膝の高さより高い階段が延々と続いています。私が登ったときは、ほとんど観光客がいないゾーンに入ってしまって、万里の長城を独り占めできてしまいました。
その後4日してすごい筋肉痛です。
万里の長城で汗だくになった体で空港へ。
そして空港では4時間フライトが遅延して、帰国はなかなか大変でした。
それでも空港ではコミュニティナースの矢田明子さんのお話を聞いたり、V-cubeの小田直樹さんに今後の事業の効率化について相談したり、関空組のみなさんと交流を深めたり、かけがえのない時間になりました。
日本のトップランナーたちの姿勢を学びました。
とはいえ、4時間の遅延は結構きつくて、自宅に帰りついたのが日付が変わって6月28日の午前2時30分でした。
6月28日は朝いつも通りの6時起きで仕事に行き、地域の勉強会に参加し、往診し、まあまあ大変でした。
それでもこの時間を作れたのはまずは佐々木淳先生がお声がけしてくださったからで、そして留守を守ってくださるスタッフと地域の先生の協力があったからです。
本当にこの学びを生かしていかないとねと思いました。

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