お知らせ
9周年記念 「みのり会のことば」制定

2024年10月に当院は9周年を迎えまして、10年目に突入しました。
成長が緩やかな当院。患者数もあまり増えません。2022年2月から始まった当院内の試練はなかなか私を鍛えてくれたと思います。事務長が辞任し、医師がステップアップのために退職し、ドライバーが病気のために退職し、訪問看護師が怪我で出勤できなくなり、さらに訪問看護ステーションはどえらい赤字でどうするのだろうかと絶望的に思っていました。しかし2023年になって救世主となる医師・看護師が来てくれたことで、一気に状況が回復しました。その支えてくれた医師たちもそれぞれの人生のために退職しましたが、さらに2024年には私をささえてくれる医師・看護師が入職してくれました。
多くの試練もありましたが、それ以上の多くの恵みをいただき、試練も惠もともに自分にとって大切なものだなあと感じる次第です。そんな風に思えるのも、やはり日々見聞きする言葉のおかげかと思います。
実は当院には理念がありますが、その理念の唱和をするのなどは絶~対に嫌だと思っておりました。ソウイウノ・・キライ。
でも、浄土真宗の生活信条や、わたしたちのちかいなど覚えなくてはならない言葉があるのです。領解文や新しい領解文なども覚えなくてはなりません。
一人でこそこそ唱えていてもいいのですが、せっかく素晴らしい言葉なので、職員とみんなで一緒に唱えようと思いました。なんて名案!
したがって現在は浄土真宗の生活信条や、私たちのちかいを「みのり会のことば」として制定しました。そして毎朝唱和しています。
とっても素敵な言葉なので皆さんにもご紹介します。
【浄土真宗の生活信条】
一 み仏の誓いを信じ尊いみ名をとなえつつ強く明るく生き抜きます
一 み仏の光を仰ぎ常にわが身をかえりみて感謝のうちに励みます
一 み仏の教えにしたがい正しい道を聞きわけてまことのみのりをひろめます
一 み仏の恵みを喜び互いにうやまい助けあい社会のためにつくします
こちらを簡単に解説しますと、み仏とは、阿弥陀如来さまのことです。阿弥陀如来は「すべての衆生を救う」という誓いを立てられました。その誓いを信じる者は「南無阿弥陀仏」とお念仏を申します。その尊いみ名を唱えることで、阿弥陀如来さまが煩悩に苦しむ凡夫である私たちをお浄土に生まれ変わらせてくださるのです。そのことを励みに、強く明るく生き抜くことができます。
み仏の光がわが身に届いています。自分にその光が届いていることを見て自分はこの光を受けるだけのことをできているか、それなのに光が届いている、そのことに感謝する気持ちで励みます。
み仏の教えを聞法することがなにより大切です。そしてその教えをみのりとして広めることが大切です。
み仏の恵みを喜びます。そして自分だけが良ければいいのではなく、他の人を敬い助け合うことが大切です。
私たちのちかい
一、自分の殻に閉じこもることなく穏やかな顔と優しい言葉を大切にします
微笑み語りかける仏さまのように
一、むさぼり、いかり、おろかさに流されずしなやかな心と振る舞いを心がけます
心安らかな仏さまのように
一、自分だけを大事にすることなく人と喜びや悲しみを分かち合います
慈悲に満ちみちた仏さまのように
一、生かされていることに気づき日々に精一杯つとめます
人びとの救いに尽くす仏さまのように
穏やかな顔と優しい言葉というのは「和顔愛語(わげんあいご)」という言葉を和訳したものです。自分の殻に閉じこもっている中では他人に対する和顔愛語は出てきませんね。他人への慈しみがなくてはできないことです。したがってまずは自分の殻からでてこないと和顔愛語はできないということです。
むさぼり、いかり、おろかさとは、「貪欲(どんよく)」「瞋恚(しんに)」「愚痴(ぐち)」という「煩悩の三毒」というものです。それに流されることない心と振る舞いを心掛けるのです。和顔愛語を日々心がけると、自分の表情や言葉づかいに意識が向くようになります。「いかんいかん、険しい顔になっていたな」とか、「荒っぽい言葉を使ってしまった」というように、自分の表情や言葉づかいに意識が向き、自覚的になります。怒ったりしているとどうしてもかたくなな言葉や行動になってしまいがちです。そうではなく、心は怒りを遠ざけ、心はしなやかにと心がけていると、振る舞いもしなやかになるなと感じます。
自分だけを大切にするのではなく、他人とも喜びや悲しみを分かち合う、ということですが、喜びはともかくなぜ悲しみも分かち合うのでしょう?
阿弥陀様は慈悲の神様です。「慈悲」とは「悲しみ」です。これは衆生の悲しみをわがことのように悲しんでくださる仏様だということです。私たちは他人の悲しみも自分のことのように分かち合うのだということです。
生かされていることに気づくことはなかなか日常ではないかもしれません。しかし、日々旅立つ皆様とお付き合いする私たちは自分もまた旅立つ日が来ることを感じます。そして今ある日は生かされている日と実感します。日々に精一杯努めます。明日はあるかどうかわからないからです。日々、自分の命ある限り、困っている人、苦しんでる人のお手伝いをする当院の使命がまさにこの文章そのものです。
この唱和をするようになり、少しずつ皆変わり始めました。一番変わったのは私です。「ム!」っとしたときに「いやいや、むさぼり、いかり、おろかさに流されず・・・」とか、緊急往診の要請があったときも「日々に精一杯つとめます。人々の救いにつくす仏さまのように」とか思い起こします。10周年に向けて、事業所がみな、この言葉から気づきを得て成長するといいなと思います。