点滴は魔法の水ではないのです、というお話の続きをいたします。

食事が入らない、そして点滴をしても本人を苦しめる、胃瘻も人生の最終段階ではお勧めではないというと、じゃあ、どうすればいいのか。食事が入らなくなれば、人は人生の最終段階となってしまいます。若くて元気な人でも、ジャングルで一週間遭難したら命が危うくなるわけで、一週間飲み食いが極端に減れば、命が危うくなります。

食事ができないなら点滴で栄養を入れてくださいと言われ、確かに中心静脈という大きな太い血管から高濃度の高カロリー輸液をすることはかつて当たり前のように行われていました。かつて、ということは、今は、もうほとんどされなくなっています。

高カロリー輸液をしていると、結局のところ感染症で死亡したり、高血糖コントロールや微量元素が不足などの管理が難しく死亡例が相次いだりなど、決して万能ではないことや、高カロリー輸液をしているとなかなか在宅復帰できず病状は安定しているのに病床が空けられないなどの問題が出てきました。

そこで、点滴から栄養を入れるのではなく、腸管に直接栄養を入れたほうが生理的だし安全だし在宅復帰ができるということで胃瘻が造設されるようになりました。

しかし、食事が飲み込めないという生物として終末期状態になっている人に「胃瘻を造らないと『餓死』しますよ」「胃瘻を造らないならもうこちらでする医療行為はありませんから早く退院してください」など「脅しかよ!」「意地悪かよ!」というような言われ方をして胃瘻を造り、その結果ご本人も介護者もハッピーとは言えない状態の方があまりに多くなり、社会的問題となったのはみなさまご存知かと思います。

そして今は食事ができなくなれば胃瘻という選択肢がありつつ、それを拒否することもできる、というところになりました。←今ココ。

最初に戻ります。点滴してもそれは単なる塩水で脱水を解決するだけ、長期に点滴を続ければ浮腫を作り、息苦しさを作ることになる。胃瘻も長期に寝たきり状態を作ることになり、決してハッピーとは限らない。ここでどうすればいいのでしょうか。

終末期医療を実践する医師は点滴をしない、という先生が多くなっています。私も基本的には点滴はあまりしない方です。しかし、明らかな脱水があって、点滴で脱水が軽くなると楽になりそうな人はいます。こういう時は緩和ケアの一環として点滴をしています。連日の点滴を希望される場合は看護師さんやご本人、ご家族とお話をして決めます。入れる量はほんの少し。200ml程度ですから皆さんが病院でよく見る点滴のハーフサイズです。200mlというのは、マグカップ1杯の水ですから、そんなにたくさんという量ではありません。それを週3日くらい点滴することがあります。ご本人が「もういらない」とおっしゃればストップです。点滴は基本的にはいらないと思っています。脱水気味のほうが、喉にたまる唾液の量が減って、ゴロゴロ不快になることが減ります。むくみもおこりにくいです。

ですが、明らかな脱水は補正してあげたほうがいいし、ご家族が少しくらいなにかしてあげたいというお気持ちを大切にすることも必要かと思います。そして点滴でほんの少し脱水を解消しながら、その中でずっと眠っているように見えるけれど、ちゃんとよく聞こえていることをご家族に知らせて差し上げ、手を握ったりすることで意思の確認ができることなど、コミュニケーションの実際を見せてみたりして、ご本人と大切な方との間で思いを交わすことをお勧めするようにします。

人生の最後の時間を医療で塗りつぶしてしまうのではなく、五感を大切にするケアを充実させることで大事な時間をいい時間として過ごしていただけるように支援することが必要かと思います。

点滴の話だったはずなのに、「五感を大切にするケア」の話になっていますが、必要なのは点滴ではない、ということなのです。必要なのは、みんなが納得できるだけのケアと支援なのだということです。