コロナ禍にて施設での面会が制限される前の話です。
夫の母が施設に入所しています。
去年、私が多忙だったので、夫と子供が二人で面会に行ったときがありました。
帰宅後に「おばあちゃん、どうだった?」と子供に尋ねると
「おばあちゃん、知らない女の子(=自分のこと)にクッキーもらって、びっくりしていた。」と言っていました。
彼女なりに久しぶりに会う祖母に気持ちをこめてクッキーを作って持っていたのに、自分のことを覚えておらず、クッキーを喜んでもらえるよりも驚かれたことがショックだったようでした。

その後私も含めて夫と子供と三人で面会に行きました。
母の向かいに座った夫が話しかけても、その横に立っている子供が話しかけても、母はぼんやりしていて聞こえているのかどうなのか、はっきりしませんでした。
私が母の横に座り、話しかけると、急に母の目が輝きだし、返事もするのでした。
「お母さん、この子ね、ゆうちゃん。大きくなったでしょう?」と言うと
「ゆうちゃん?大きなったねえ!」と喜ばれました。
「それからね、この人ね、ひさしさん。」と言うと
「ひさし?大きなったねえ!」(そりゃ、そうだろ。もうおっちゃんやで)と喜ばれました。
そして私を見て
「それで、あなたは?」と尋ねるので
「私?ようこです。ひさしさんの奥さんです。覚えてないですよね?」と笑うと
「覚えてない。」(笑顔)
「ですよねー。」二人で爆笑。
こうしてコミュニケーションが取れるようになったので、夫が話しかけてもやはり無視。子供が話しかけてもやはり無視。
私とだけ交流ができるのです。

実はこれにはカラクリがあるのです。
そのカラクリとは、私が母の隣に座っていたこと。隣から顔を覗き込むようにして話しかけたこと。目線の高さを母に合わせていたこと。しっかり視線を合わせて、目じりをぐっと下げて笑顔を強調することは一発で相手の視線をとらえるコツです。声を高齢者が聞き取りやすい高さにしていたこと。

夫が座っていたのは、母の真正面でした。あまり真正面からのコミュニケーションはちょっと恐怖心をあたえがちです。高齢者からすると、やや距離が遠くなります。そして目線の高さが違うので、視界にはいらないのです。さらに夫の声が低く、さらに活舌も普段からよくないので聞き取れないのです。
子供は夫の隣に立っていたので母の視界の外にいるのです。

私はコミュニケーションがとれるカラクリを伝え、子供が実際に母の横に座ってやや斜めから覗き込むようにして目線を合わせて声を少し低めに(男性の場合は少し高めに)話しかけると母は子供の言うことに返事をしたのでした。ところが、夫はやはり下手で(見ていても「ちがう、ちがう、そうじゃない」と突っ込みたくなる様子はありましたがあまりダメ出しをするとへこむので言いませんでした)母は夫の言葉を無視(というか、見えてないし聞こえてない)していました。かわいそうに。

最初、夫と子供が話しかけても無視していた母が私とは会話を始めて、私と話すときは目が急にきらりと輝いたのを見て、うちの子供は「プロや、この人、プロや」と思ったのだそう。ふふふ。

それでもしばらく会話していると突然私に向かって「それで、あなたは?」と私のことを何者かと尋ねるので
「私?ひさしさんの奥さん。覚えてないですよね。」「覚えてない」「ハハハハハ!」というやり取りを三周くらいしたのでした。

夫と子供は自分の子や孫だとは認識できても、コミュニケーションがとれない。
私のことは誰かはわからなくても、信用できると感じてコミュニケーションをとることができる。
そしてそれはちょっとした技術であって、学び、伝えることができるのです。

子供をあやすときも同じような要領があります。
赤ん坊をあやすときに、おばちゃんたちは目じりを下げてニコニコしながら高い声であやしますよね。あれはみんなほぼ本能的にやっているのだと思いますが、赤ちゃんは面白おかしくて笑うのではなく、相手の笑顔をまねて笑う練習をしているのです。
新生児の赤ちゃんに向かって舌を突き出して「べー」としてみると、赤ちゃんも舌を突き出します。
赤ちゃんは、相手の顔をみて表情を作る練習をするようにできているのです。
ですから赤ちゃんをあやすときは、目じりをぐっと下げて、口角をぐっとあげて笑顔を強調するようにし、赤ちゃんが好きな高い声で話しかけるといいのです。するとその笑顔を見て赤ちゃんも笑うのです。わかりやすく笑顔を強調しないと赤ちゃんは笑いません。
それを夫につたえ、赤ん坊のあやし方を教えたら「夢に出てくる」と恐れを覚えるような目じりを下げて口角をあげた怖い笑顔であやしたものです。こわいよ、そのひきつった笑顔・・・言わなかったけど。

うちの子を産んだ直後、わずか10週ですが、産休を頂いていました。その間、赤ちゃんと軟禁状態でした。
「これは・・・私にはちょっときつい。この『業務』、私には向いていない」と思ったものでした。
反応の乏しい新生児と二人きり。これは心病みます。
こんなとき、ICU看護のコツを思い出しました。
昔々、ICUナースが燃え尽き症候群で離職することが問題になっていた時代がありました。そのとき看護研究でICUの人工呼吸器につながれ、鎮静された反応のない患者さんのケアをするときに「声掛けをしながらケアをすると、看護師の精神的なつらさが緩和される」ということがわかってきました。
まさに新生児も反応のほとんどない患者さんのようなもの。それで私も子供のお世話の時に声掛けをしながらお世話をすると、心が少し楽になりました。
そんなわけで一つ一つのことに声掛けしたり説明したりしながら子供のお世話をしていたのです。
ところが「声掛け」は私の心を救ってくれただけではなかったのでした。
予防注射のときも「今日はね、三種混合って注射をするんだよ。三種ってね、いっぱいでしょう。いっぺんにいっぱいの病気の予防をしてくれるんだよ。だから、痛いけど頑張ろうね。」みたいな感じでやっていました。
うちの子は注射もわりと平気で、ちょっと「ふえっ」と泣きはするものの、すぐにご機嫌になる子でした。ですから「うちの子はご機嫌赤ちゃん」と思っていたのです。
ところが、一度夫に予防注射に連れて行ってもらったところ、当然夫はそんな声掛けもせず注射につれていったので、子供からするといきなり注射を打たれた!という状況になったようです。子供はその日はワンワン泣き続け、夜までずっと機嫌が悪かったのでした。
「うーむ、インフォームドコンセントがなされていないと子供も精神的に納得できないものなのね」と妙に感心しました。
うちの子が「ご機嫌赤ちゃん」なのではなく、「事前情報があるから安心している赤ちゃん」であることがだんだんわかってきました。

友人の赤ちゃんをいつもの保育園以外の託児所に預けるとものすごく精神的に不安定になるというので、「ちゃんと説明してる?あなただって急にご主人にどこかに連れていかれて、そのままご主人がどこかに行ったらめちゃくちゃ不安じゃない?」と言って事前に説明するようにお勧めしたところ、効果があったとのことでした。
さらにうちの妹にも上記のように声掛けの効能を伝えたところ、お風呂に入ると泣いて仕方がなかった甥っ子が声をかけながらお風呂に入れると、泣かなくなったのだと驚きつつ喜びの声を伝えてくれました。さらにさらに妹は猫に対してもインフォームドコンセントをしたら、お留守番の時に猫がとてもいい子でいてくれたと教えてくれました。

なんと、猫にまで!
そこで私も自分が出かけるときに犬をペットホテルに預けるときに説明していい子でいてねと伝えるようにしました。うちの犬たちはそもそもペットホテルが好きなので(いつも行く訓練所のホテルだから)効果のほどはわかりませんが、犬への声掛けも頻繁にするようになると、犬も了解がよくなってくるのははっきりとわかりました。

このように、言葉が理解できない乳児や動物に対して声掛けや説明が有効なのであれば、認知症の高齢者なんて絶対に有効に決まってるよね?と思い、高齢者に対してもきちんと説明をするように心がけました。
ある時の診療で、もう言葉を失ってしまった認知症の方にも今からする処置の内容を説明し、痛くないようにするので体を横向けたりするけど怖くないですよ、などとお話ししました。処置の後、そのもう言葉を発することが久しくなかった高齢者が何か声を出しているので、カルテを書く手を止めて「ん?どうされました?」とお聞きしてみました。もちろん言葉はもうお話しされないからお聞きしても私にはわかる話ではないのですが、無視するのは年長者に対してあまりに失礼なのでお聞きする体制をしっかりとったところ「アリガトー!」っておっしゃったのでした。
そして長らくその方から言葉を聞いたことがなかったその場にいたお嫁さんも看護師さんもみんなびっくりしたのでした。
その方は私が主治医ではなく、たまたま主治医の診療が抜けたときのフォローをしていただけですからそんなに付き合いのある方ではないのです。それでも、こうしてコツをつかんだやり取りをすると、心開いていただけるものなのです。

でも、認知症の方とのコミュニケーションのコツを説明してみると、当たり前のことばかりです。目線を合わせる、笑顔をしっかりつくる、聞き取りやすい音域で話す、きちんと説明して安心感をつくる。
赤ちゃんとのコミュニケーション、動物とのコミュニケーションみな共通です。
言葉が伝わる、伝わらないということではなく、なにか言葉ではないもので伝えあっているのです。
それを一言で言うと「相手への敬意」ということになるのでしょうけれども。

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