患者さんが亡くなり、しかしながらその経過に不全感が残ることはたまにあるものです。

大抵は救急搬送になったケースで、「あれでよかったのか」とモヤモヤを抱えることになります。

そういう時は、訪問スタッフと振り返りカンファレンスをするようにしています。

今回もモヤモヤが残る救急搬送で(救急搬送が全て悪いわけではないのです)、自分一人で抱えきれないと感じたので、振り返りカンファレンスの時間を訪問看護師さんに作ってもらいました。

 

翌日がカンファレンスという日の夕方。

処理が終わっていない書類の山の中に、その患者さんに関する情報提供書が入っていたのを発見しました。

日付は亡くなられた2日後。

その中には私が救急車を呼ぶ間に急いで書いた情報提供書をご覧になった病院の主治医が、この方が強い思いで自分の生の終わりについての希望を持っておられることを理解され、高齢であるし瀕死の状態であるけれど明らかな自己決定能力があることを認め、ご本人のご希望に沿った治療をしてくださり、最後までこの方がこの方らしく過ごすことに力を貸してくださったことが書いてあったのです。

この情報提供書、いえ、むしろ、お手紙と呼ぶべき書類に私はとても救われました。

救急搬送してよかったのか、自宅での死を望んでおられたこの方を病院に入れてよかったのか、そのようなもやもやが穏やかに晴れていきました。

そしてカンファレンスの時に、この情報提供書を供覧し、看護師さんともども、「この方は幸せだったんだな」ということを確認しました。

そして日を改めて、ケアマネジャーとヘルパー諸氏を交えて振り返りカンファレンスを開催しまして、この方の最後がとてもいいものであったことを共有しました。

また、医師の私には見えないこの方の日常のお話などをたくさん聞き、この方の波乱万丈な人生の詳細を知って「面白い人生だったんだろうなあ」と思いました。

そしてこの方がみんなに愛されて旅だったことを再確認したのでした。

病院の主治医の先生が在宅スタッフの強い気持ちを受け止めてくださったこと、そしてそれをまたお知らせくださったこと、このようにコミュニケーションを大切にしてくださる医師がどんどん増えて欲しいなあと思いました。