2020/3/10掲載分(有料記事のため、そのままではなく一部改変しております。)

高齢化社会日本。2025年には年間150万人以上が死亡し、ピークとなる2040年には168万人が死亡すると予測され、多死社会を迎える。
介護や看取りは他人事ではない。そして、自分自身もいつかは迎える「死」。

もう積極的治療は難しく余命を考えるようになった時、あなたはどこで最期の時間を過ごしたいだろうか。

人生の終末期を自宅や施設で過ごす人を支え、多くの人を看取ってきたなかで、最期までその人らしく過ごせるように寄り添い、支える家族や周囲の人に「看取り勉強会」を開いています。

<五感を大事にしたケアへの移行>
最期の日が近くなると食事が入らなくなります。
食べることができなくなると、眠ったり起きたりを短い時間で繰り返し、話しかけても返事をしたりしなかったり。時には全く反応がなかったりするでしょう。
このような状態でも、五感ははっきりしていることが多いのです。ですから五感を満足させるようなケアをお勧めしています。
例えば、むくみが出てくると血流が悪くなって四肢末梢が冷えるので、温かいタオルでマッサージをしてあげるときっと気持ちがいいでしょう。
車椅子に座れるのなら、少し外の風に当たるのもいいでしょう。好きな音楽を流してあげてもいいかもしれません。

あるご家庭では、コーヒーが好きなお父さんのために飲めなくてもコーヒーをいれて香りを楽しませてあげると話していました。
また、食べられなくても口の中をきれいにしてあげると渇きが改善されますし、スッキリして気持ちがいいのです。
最期の「見守る」時期でも、周囲の人がしてあげられることは意外とあるものです。

誰もが行く場所への橋渡しの役目
死が近くなると現れる生理的な現象の一つに、下顎(かがく)呼吸というのがあります。
それもご家族に事前に説明をしておきますが、下顎呼吸になると5分で逝かれる方もいれば、何日もそのまま続く方もいます。
下顎呼吸というのは、舌を保持する筋力などの弱りから舌が落ち込んで気道をふさいでしまうときに、なんとか気道を通そうと伸びあがる動きと、その姿勢がしんどいので、また戻る姿勢を繰り返すような呼吸です。顎が上下に動いて、いかにも苦しそうな呼吸です。
これ、一見すると「いかにも苦しそう」「急に苦しみだした!」と驚いてしまう呼吸です。しかし最初に書いたように「死が近くなると現れる生理的な」呼吸です。自然なことです。
いかにも苦しそうで、思わず「救急車!」って思ってしまうほどの様子ですが、「生理的」で「自然」な呼吸なのです。

ある患者さんで4日くらい下顎呼吸が続いた方がいらっしゃって、
「○○さーん!」と話しかけたら「うるさいな!」と言われて。
「元気やん」と思ったのですが、「しんどいー?」って聞いたら「しんどくないー!」って。
「もしかして私が起こしたから怒ってる?」って聞いたら「そう!」だって。
「ごめん、寝てて〜」と返したことがありました。
周囲から見ているととてもしんどそうだけど、本人的には安らかにスヤスヤ寝ているだけみたいなのです。例えて言うと、いびきや歯ぎしりしながら寝ている人がいて、なんだか苦しそうに見えるけど、実は本人は気持ちよく寝ているだけというのにも似ているのかもしれません。
しんどくないわけではないけれども、「いつも通りしんどい」だけとか「ことさらしんどいということではない」ということが最近わかって、面白いなと感じます。

ちなみに、生まれてくるときの生理的な呼吸ってみなさんご存じですよね。そう、産声です。
あれも、知っているから「よく泣いた、もっと泣け、もっと泣け」ぐらいの反応ができるものですが、生理的な呼吸だと知らなければ「わあ!赤ちゃんがすごく泣いている!泣き止まさなければ!」と思ってしまうのではないでしょうか。
下顎呼吸も死を前にした生理的な呼吸です。初めて見るとびっくりされるかもしれませんが、「救急車を呼んで!」というものではなく、また救急車を呼んでも解決することができないものですので(救急要請をすると人工呼吸されてしまうけれど、自然な経過での旅立ちのときに人工呼吸は必要であるとは思いません)、びっくりなさらないようにとお願いしております。

私は、いつかみんな行く場所の、橋渡しをしているような役割だと思っています。
たまに「死を扱う仕事、つらくないですか?」と言われますが、嫌なことをしているとか悲しい仕事だとは思っていません。いつかみんな行く場所だから、納得いく形でいけたらそれでいいなと。
引き裂かれたように最期を過ごすよりも、家族と一緒に別れのプロセスの中で過ごしているので、みんな「よかった」と思える最期になっていくのです。

<亡くなった後も耳は聞こえる>
「たとえ意識がはっきりしなくなっていても、できるだけ耳に聞こえるところでその人との思い出話を伝えてあげてくださいね。お孫さんに、とか誰かに伝える形でもいいです。この人が自分にとってどれだけ大事な人だったかを伝えてあげてください。それがお別れをすることになりますよ」と、ご家族などには話しています。
そうして話ができていれば、きちんとお別れはできていることになるのではないかとおもいます。そのように「別れ」がきちんとできていれば最期の瞬間に立ち会えなくても、大きな悔いは残りにくいのではないかと思うのです。
最期の瞬間を捕まえることは私たちにとって難しいことなのです。ご本人が最後の時間を決めるわけですから、その時たまたま同席できないこともあるのです。しっかりお別れをすることで最期の瞬間にこだわることなく、見送っていただければと思います。

でももし、最期の瞬間に立ち会えるのなら、「心臓が止まってからも耳は聞こえているので話しかけてください」と伝えています。呼吸停止、心停止をしても数分は、大脳は生きていることが多く、耳が聞こえている可能性があるのです。
研修医の頃から「耳は最後まで聞こえている」と教わってきましたが、当時は懐疑的でした。
しかし、その後緩和ケア病棟で働くようになって、患者さんは眠ったり起きたりを短い間隔で繰り返しながらも、まだらに意識があり、よく聞いているなと思うことがありました。
そして、在宅医療に携わり、亡くなった後も聞こえていると確信できることがさらに何度かあったのです。大きな声で呼びかけると、呼吸停止後でも反射でビクッとすることなどです。
ですから亡くなったと思っても、ゆっくりお別れの言葉をかけてあげてください。

<生の終わりは悪いものではない>
母は、乳がんが見つかった時にはすでにあちこち転移していて、残り数カ月という感じでした。どんどん悪化しても自分本位な生活をしていましたが、もう生活が難しくなり母はサービス付き高齢者住宅(サ高住)にお世話になりました。

サ高住入所の日、脳転移が原因で起こるけいれんを起こしました。徐々に呼吸が弱くなり、チアノーゼ(顔色が青くなること)が出てきました。父や妹を呼び「声は聞こえてるから、お別れして。もうお別れだから」と伝えました。
すると父は「おーい、ヨシコー!!…死ぬなよー!」と叫びました。この期に及んで……。
それに対して私と東京から来ていた妹はほぼ同時に「なんでやねん!! 引き留めずに逝かせてやんなさいよ」と父にツッコんでいました。
私や妹の思いとしては、この病気でこの状態まできて、という思いがありました。
私は日頃から家族に「肉体の苦しみを終わらせてくれる生の終わりというものは、悪いものでもないよ」と伝えていましたし、母もそれは理解して、私の意見に大賛成でした。
そして母の呼吸はほぼ停止し、唇の色が紫色に変わり、下顎呼吸になりました。父と妹はずっと母に話しかけ、お別れをしっかりとしていたのですが、母の呼吸がそのまま落ち着いたのです。
<母との最期の別れ>
とはいえ、危篤状態であることには変わりなく、過去にもこうして数日で亡くなった患者さんを何人も診てきました。
しかし、母は数時間後に意識が戻り、その夜にはフラフラしながらも歩いて自分でトイレに行き、歯を磨いていました。普通、そんなことは起こらないので本当に驚きました。
そこで駆けつけた叔父とも抱き合って再会を喜んだのですが、この叔父と母はそれまで大げんかをしていたのにいきなり和解したのにも驚きました。
普通はそんな和解なんてドラマみたいなことは起こらなくて、仲たがいしているものは仲たがいのままいくことが多いものです。そんな普通では起こらないことが次々起こるのに驚きました。
そしてこうしていったん危篤状態だったのによみがえり、多くの普通ではないことを次々起こし、それから与えられた残された時間で、やさしい、いい時間がもらえました。

どんな葬儀がいいかなども姉が母と話をしてくれました。死を前にして自分の葬儀について話せる人はそう多くなく、そんな大切なことを話すことができたのも本当に良かったです。
本当に最期の時、父は「おーい、愛してんどー!」と叫び、それに応えるように母が「がーっ」と発して息が止まった。「死ぬな」と呼びかけた父が、旅立ちを止めることなく見送れたのでした。
両親の別れについて、「愛してる」「がー」のやり取りに感動するということはありませんが、「死ぬなよー!」と言っていた父がわずかな間に、最高のはなむけの言葉で母を見送ることができるようになったというその成長に驚き、感動しました。
人が死ぬことを「避けるべき」と思っていた人が「いい形で送ってあげたい」と思うようになれるようにすることが私の仕事の大きな部分ですので、私自身、一ついい仕事ができたなと思いました。