アイキャッチ画像はJR小倉駅のメーテルと鉄郎像とともに撮影したものです。
このコロナ禍で、医療系の学会は軒並み「オンライン開催」となっております。
日本在宅医療連合学会第2回地域フォーラムも全面オンライン開催でした。しかし、2022年に京都で第4回地域フォーラムが開催されることになり、大会長の荒金英樹先生らとともに現地視察をさせていただく機会をいただきました。それがこの小倉の記念撮影です。
まだ手探り状態での準備開始をしたばかり。このあとどうなっていくものやら。
私も「仏教と医療の協働」に関する催しをお手伝いします。
2019年は第1回地域フォーラムで北海道にて中京区在宅医療センターとして公募ワークショップに参加させていただいて大きな感動を全国の皆様とともに味わいました。
第4回の京都大会もきっとわくわくがいっぱいのことになるんじゃないかなと楽しみにしています。

さて、以前も書いた内容になりますが医者から「どうしようもない」と言われたとき、どうすればいいのかというお話をします。

「しょうがない」「仕方がない」「どうしようもない」という言葉を医療者(主に医師)から投げつけられて、あるいはポロリとこぼされるとそれに傷ついてしまいます。「医師からさじを投げられた」と感じられることと思います。しかし、実際のところ「そのお医者さんのいう通り。」でもあります。
現代の医療では、弱りや人生の最終段階に近い状態に対してはどのようにする医療的手段が乏しいのが現実です。
医師は病院で何かをしてあげたいと思っても、できることがほとんどありません。
尿意が頻繁で5分ごとにトイレに行きたいという、でも、どうしようもない。
腫瘍が原因で熱が出る、でも、どうしようもない。
認知症が悪化する、でもどうしようもない。
腫瘍が増大してお腹が膨れて苦しい、でも腹水は穿刺して排出できるほどではなく、どうしようもない。
肝臓に転移した腫瘍が増大して破裂して腹腔内出血をする、でもどうしようもない。
どうしようもないことばかりです。
名医がいて、さっと素晴らしい解決策を出してくれるのではないかと、通院できない患者を抱えてかなり無理をして専門医受診しても「これは仕方がないですね」と診察が終了する。
あるいは困って困って救急受診したのに特に何もできないと言われてしまう・・・・。
ご家族としては途方に暮れてしまう状態だと思います。なんで誰も助けてくれないんだろう、そんなお気持ちになることと思います。
私の仕事は通院できなくなった人を診る仕事です。無数の「どうしようもなさ」と付き合う仕事です。
かっこよくバシッと治療法を出して解決することはほとんどできません。
ですから「これはもうあるがままを受け入れるより他ありませんね」と言いながらおつきあいすることになります。
そう。
あるがままを受け入れるより仕方がない時期がくると、「医療による解決」が難しくなるのです。
では、医療による解決が難しくなったらもう何もできなくて患者と家族は見捨てられるのでしょうか。
医療による解決が難しくなった場合は、ケア(お世話)によるサポートが(決して解決とは言えませんが)お役に立つと思われます。
私の仕事はこれらの無数のどうしようもなさに対し、医療での解決を目指すのではなく、対応を工夫することにより、いくらかでも不具合に付き合っていく方法を見つけていく仕事になります。これってお医者さんの仕事というより看護師さんの仕事に近いものと私は感じています。

「どうしようもなさ」を抱える方たちとのかかわりの中で、これまでは「支えていきますよと相手に伝えること」が大事だと考えてきたのですが、最近は自分の「何もできない力(りょく)」が大事なのではないかと考えるようになってきました。
私たち医療者には人生の最終段階や弱りの段階に対して「何もできない」ことが多く出てきます。
そのとき「自分は何もできないので」と立ち去ることなくとどまる力を「何もできない力」「役に立たない力」と呼んでいます。(私の造語です)
「寄り添う」という言葉に近いように思いつつ、寄り添うよりももっと無力な自分の状態です。
例えば私が症状に対してお薬を処方してそれが効いて喜んでもらえて「グッドジョブ!」と活躍できるのは、それはそれで患者さんにも喜んでもらえますし、自分も自己肯定感が高まります。そうではなく、「何もできなくてもありのままの自分でいい」ということでもなく、「何もできない私ですが、そばでお話を聞かせてもらえますか?」ということを伝えてそばにいることを許してもらう力です。
実は、これはなかなかできることではありません。
役に立たない自分を相手に許してもらう力です。
最近はこの「何もできない力」「役に立たない力」を磨かなくてはいけないと感じるようになってきました。
実際に傾聴ボランティアや臨床宗教師のみなさんと接するとこの「何もできない力」のすごさに感服します。
何よりすごいのが、ご家族の「何もできない力」。ご自覚もされていないけれど、この力の大きさにいつも感動します。
医療従事者のみなさん、「何もできない」とその場を立ち去っておられることと思います。多忙な医療現場では「グッドジョブ」を求め続けられるからです。しかし、実のところ「何もできない力」を磨かなくては、「どうしようもない」状態の患者さんやご家族には「グッドジョブ」な対応ができなくなったときに逃げ去ること以外できなくなり、「敗北」を感じ続けなくてはならないのだ、ということを自覚していただければと思うのです。
人生の最終段階は敗北なんかではありません。実に豊かな時間が流れています。