私は現在仏教の僧侶の資格をもっておりますが、それ以前より、祈ることについては大切に思っていました。

一般的に、人々は「祈りの力」を低いものと感じておられるのではないかなと思います。

しかし、実際には祈ることは大きな力になります。
自分が無力で「何もできない」と打ちひしがれる時、それでもできることは、ただそばにいることと、祈ることです。
何もできない自分がただそばにいるためには「何もできない力(りょく)」が強くないと、とてもじゃないですがそばにいることはできません。
何もできなくてもそばにいることが出来る人は、その人のことが好きで、その人にも好かれている人です。
そして、祈りの力。何もできなくても、祈る。
祈ることで何も変わりません。無力です。
でも、祈りということをすることで、多くのことが変わります。この上ない力を持っています。
この矛盾する記述を
「ほんま、ほんま」と頷ける人、多くいらっしゃるんじゃないかな。
医療、介護、宗教の3つが一つに重なるのは、この分野だと思うのです。

ここで「祈ること」と「願うこと」は微妙に違うのだということもお伝えしたいです。

まずは「願う」
願うということを辞書でみてみると
1 神仏に、希望の実現することを祈る。祈請する。願をかける。
2 望みがかなうように請い求める。望み求める。
英語ではwishとなります。これを英英辞典で調べると、「何かをしたいと思うこと、何かがそうなればいいなと思うこと。それが不可能に近いと思っていてもそうなるといいなと思うこと」 となるようです

祈るということを辞書でみてみると
1 神や仏に請い願う。神仏に祈願する。
2 心から望む。願う。
英語ではpray。 これを英英辞典で調べると「助力を求めたり感謝をするために神に話しかけること。何事かが現実になるようにと強く願い、希望すること。」となるようです

私の印象では「願う」のは「結果を求めて強い思いを神仏に限らず他者に向かって依頼すること」
「祈る」のは「物事の成就や感謝などの思いを、神仏に向かって話しかけること」
ととらえています。

そして私がお勧めする祈り方は、結果を求めない祈りです。
「病気が治りますように」と祈るのではなく「この病があったとしても穏やかでいられますように」「苦しみが小さく過ごせますように」などです。
結果を求めるのではなく、精神的な安定を求める祈り方です。
そのような祈りをするとき、自分自身にも言い聞かせることになりますので、結果を汲々と求めるよりももっと大きなものを得られるように思います。

それでも。
やはり、一日でも長く生きていてほしいと思いますし、治療をするのであれば効果が出てほしいと思うものです。
その気持ちも、素直に表現してもいいと思います。
だって相手は神様仏様ですからね。おおらかに聞いてくださると思います。