思い付きで生きています。
あまり人生の選択の時に迷わない方です。
かなり悩んだのは「麻酔科にするか、放射線科にするか」くらいですが、それでも他の人と比べれば悩みは深い方でもなかったです。

麻酔科研修医の時に同期に「オザキのオの字は『思い付きで生きている』の『オ』」と歌われたことがある私です。(旧姓 尾崎)

確かに、右脳、左脳的な話になりますと、まったくもって直感で感じて、感覚的に処理するタイプでして、右脳で受け取り/右脳で出力する タイプです。あまり論理的に考えていませんし、論理的な処理をしていません。
この傾向は終末期医療に携わるようになって強められてきたように自分自身で感じています。
医療の世界は科学の世界ですので、「論理」が大切な要素になります。いわゆる「エビデンス」が大切ってやつです。
一方で終末期医療などでは「感情」が大切な要素になります。いわゆる「ナラティブ」な要素です。ナラティブというのはナレーションと同様の語源からの言葉で「その人にとっての物語」という言葉です。
ナラティブなものを大切にするような対患者接遇を実践するうち、直感的に患者の思いを把握し、感情に逆らうことない対応にたけてきたと自分自身について思います。もともと直観力に優れているほう(いわゆる「勘がいい」ほう)ですが、最近本当に勘が鋭くなってきているのを感じます。

さてそんなわけで「思い付きで生きて」いる私ですが、まったくもって、今年は思い付きで人生の岐路にたちました。
一つは僧侶の資格を取りました。
これは飲み会の席で「お坊さんになりたい」と語っていたら、「僧侶の資格を取得するのはそんなに困難ではない」という情報を得ました。どうも真宗大谷派だと研修期間は非常に短くて、僧侶になってからゆっくり勉強すればいいのだとか。
これもまた別の飲み会からのご縁で、真宗大谷派の三浦紀夫先生とお名刺交換していたので連絡し、大阪市の瑞興寺の清師にお引き合わせいただき、得度に至りました。飲み会つながりばかり。
僧侶の資格を取った理由を尋ねられますが、あまり深く考えていなくてまさに思い付きで資格を頂いたというところです。ただ、私にとって僧侶の資格を頂くことに本当に違和感がなく、当然というか必然というか、僧侶であることに疑問を感じない、というものです。なるべくしてなった、と感じています。本当の意味がわかるのはこれからでしょう。
何が起こるのかなとワクワクしていますが、恐ろしく重い課題が自分に課せられるかもしれません。どうなることでしょうか。
仏教の勉強はまったくしていないのでこれから頑張ろうと思っています。

思いつきで生きてる件、もう一つは介護士の資格を取りました。
世の中にはケアマネジャーの資格を持つ医師はあまたいらっしゃいますが、寡聞にして私の周囲には初任者研修の資格を持つ医師は私以外に知りません。
初任者研修は介護士の資格の中で一番最初の(まさに初任者の)資格です。
わざわざそんな資格を時間をかけて(4か月もかかりました)まじめに勉強してとる医師はなかなかおりません。
暇なのか、というくらいです。
実は1月まで勤めていた外勤先の診療所が閉院し、2月から外勤していた時間が空いて暇ができたので、「じゃあ、介護士の資格を取りに行くか」となったのでした。

介護事業所を立ち上げるべく準備していたのですが、介護士がなかなか求人しても来ないだろうという予想と、利益が出るようになるまでは自分自身も週に1日くらいは現場に出てコスト削減に寄与しようとか、従業員任せにせず自分も現場の声を拾うのがいい事業所を作るために必要なのではないか、など考えて介護の勉強をしたのでした。
結局、憎きコロナの影響で、開店はすれども休業状態のまま、実質オープンするタイミングがなくなっております。
この件についてはこのままいったん撤退を検討しています。コロナ禍が収まるまでは新規開業は無理ですね。傷が浅いうちに撤退です。
介護士の資格についても、これもまた思い付きでの行動というところです。

でも、思い付き以上の収穫がありました。
介護の勉強、して、本当に良かったということです。

医療って学問として歴史が長いしまた社会的に医師の権威も高いのですが、対患者学としては、非常にまだまだという面があります。
一方介護は学問としては新しいものですが、対患者学というか対利用者学としてはとても先進的です。今回は勉強してみて驚いたことが「ここ10年現場で苦労して手にしてきた経験が、介護の教科書には当たり前のこととして書いてある」ということでした。
これは大変ショックなことで、ベテランの医師が医療職として苦労して手にしたこと、多くの医療職がまだまだ実践できていないと感じていることが、若いケアマネジャーなんかにとっては「そんなこと当たり前」であるということです。
また新臨床研修世代の医師や看護師は接遇の研修も受けますのでこの若い医療職も知っていることなのです。
ということは、新臨床研修以前の医療職だけが知らないことであり、このままでは私たちの世代の医療職は「わかってない昔の人たち」になる、という危機感!

介護のことについて学ぶ機会を得たことは多分人生の大切な出会いの中の一つになることでしょう。本当に良かったです。

こんな風に思い付きで生きてるのに、思いもかけないプレゼントを用意されてばかりです。
こんな時に「本当に神様ありがとうございます」と思いますし、自分は守られているなあと思います。
こんないい加減に生きているのに、ありがたいことです。