アイキャッチ画像ですが、私が大好きな伊藤若冲の「寒山拾得図」です。
寒山拾得図は沢山の画家が描いている画材ですが、この寒山拾得図、超可愛いですよね。

第7回
【最終話・尾崎容子】死を受け止めるために知るべき11項目
2020/3/14 ニュースピックス第7回掲載分(有料記事のためそのままではなく一部改変しております)
高齢化社会日本。2025年には年間150万人以上が死亡し、ピークとなる2040年には168万人が死亡すると予測される。介護や看取りは他人事ではない。そして、自分自身もいつかは迎える「死」。

もう積極的治療は難しく余命を考えるようになった時、あなたはどこで最期の時間を過ごしたいだろうか。

訪問診療医の尾崎容子氏は、人生の終末期を自宅や施設で過ごす人を支え、多くの人を看取ってきた。最期までその人らしく過ごせるように寄り添い、支える家族や周囲の人に「看取り勉強会」を開く。

「知らないことで不安になる。身体の弱りや死について、きちんと知識を持つことで不安は減ります」と語る尾崎氏の看取りのあり方とは。(全7回)

<覚悟ではなく知識を>
施設でのケアも在宅ケアですが、やはり自宅でのケアは家族の負担があります。
子育ては先がわかるけど、介護はいつがピークか、これからどうなるのかわかりにくい。だから、介護休暇は1日ずつバラバラに、何度も取れたらいいのになと思うんですよね。
施設の見学に行ったら休みますとか、ここで1週間、また今度数日取ります、とか。本当の終末期の人ならまだしも、そうじゃないとどのタイミングで1度しかない介護休暇を取ればいいのかなんてわからないですよね。

患者さんの最期が近づくと、ご家族や周囲の方を集めて「看取り勉強会」を開くことがあります。
在宅医療をしているお医者さんが「ご家族も覚悟をしてください!」なんておっしゃるんですが、覚悟が必要なのは医療者だけであって、ご家族には覚悟なんていらないと思うのです。そんな覚悟が必要だなんて言われたら怖くて在宅での看取りなんてできないんじゃないかな。私なら覚悟が必要って言われたら「怖いから在宅での看取りはできないです」って言ってしまいそうです。
私は「看取る覚悟じゃなく、知識をつけておいてください」と伝えます。
知ってたら不安がなく見ていられるけど、知らないから怖くて不安になってしまって誰かに来てほしくて不要な救急要請をしてしまうのだと思います。不要な救急要請をしない場合はご家族が不安で押しつぶされそうになりながら、耐えて耐えて怖い気持ちで看取らなくてはならないと思うと、胸がきゅうっと痛くなります。
知っていれば起こることはすべて自然なことなんだと見ていられます。だから知っていてほしいのです。
在宅での看取りを前に、ご家族に次の11項目をお話ししています。
1.死ぬことは悲劇ではない
2.亡くなる前には「弱り」が出てくる
3.病因により経過はいろいろだが、最終的に人は食べなくなると死に至る。
4.見守るということ
5.食事が入らなくなった場合の対応
6.耳は最期まで聞こえている。呼吸停止、心停止後も聞こえている可能性がある
7.死の前の呼吸状態
8.「最期」は、実はわかりにくい
9.「最期」に、ご家族がともにいる必要はない
10.急変時にはどうするか
11.「最期」を迎えたら
これらを一つ一つ詳しくご家族にお話ししていくので、1時間くらいはかかりますが、じっくりと丁寧にご家族に向き合うようにしています。また、説明を補うためのメモやパンフレットもお渡ししています。
先日も90代の女性が旅立ち間近のため、お孫さん世代にも話を聞いていただきたいと看取り勉強会を開きました。
最初はこわばった顔で話を聞いていたお孫さんやその旦那様たちは、徐々に顔つきが穏やかになり、最後はニコニコ笑っていました。
ひ孫を連れてきたらうるさいかと遠慮されていたのですが、「おばあちゃんがどんなに優しい人だったかひ孫に話してあげよう。連れてこよう」と言ってらっしゃいました。
「看取りの話なんて考えたくない」と言っていた娘さんも、会の後はニコニコして「聞いてよかった」と言っていました。
知識があると死への道のりが自然なものであり、自分たちにもできることなんだとわかってもらえて緊張せずに向き合うことができるのだと思います。

<カードゲームで価値観を確かめる>
誰もがどう死にたいかを改めて考えることってあまりないですし、いざどうしたいか聞かれてもはっきりと答えられる人なんて、そうはいません。
私もいろんな不安がある中で、時々「もしバナゲーム」を使うことがあります。

これは、千葉の病院で緩和ケアや地域医療、在宅医療に取り組む先生たちが立ち上げた社団法人iACPが開発したカードゲームです。
終末期に人が「大事にしたいこと」に上がってくるような言葉がカードに記してあり、自分が余命半年という想定で大事にしたいカードを選んでいきます。
いろいろな遊び方ができますが、例えば数人で4枚ずつ取って、自分のそのカードから1枚必要ないと思うものを捨てます。そしてまた1枚取る。そして、人が捨てたカードでも「自分には大事だな」と思う言葉があれば、拾って代わりに1枚捨てる。
そうしていくと、自分の手元に大事にしたい価値観が残るのです。

例えば、私の手元には今「祈る」とか「お金」という言葉はありますが、「家族に看取られる」のはなくてもいいと思っているのです。いろんな人の死を見てきて、最後に看取られるのが家族と限らなくても大丈夫だなと確信めいてきました。
しかし、前にもお話ししたように(第5回参照)お金は在宅医療を受けるにも、介護を受けるにも必要です。ですから、私はそのカードは捨てることはできません。
そんなふうに、他の人とも一緒にプレーすることで語り合ったり、自分の価値観を見つめ直す、「アドバンス・ケア・プランニング(ACP)」の要素も含んでいます。

<「人生会議」で終末期を考える>
本当の最終末期になるもっと前に「終末期をどう過ごすか、どこで過ごすか、最終末期の延命などについてどう考えるか」を考えておくことが、最近では勧められています。
それが、「アドバンス・ケア・プランニング(Advance Care Planning=ACP)」です。ACPには、「人生会議」という愛称がつけられています。
「人生の最終末期のことを、あらかじめ決めるための話し合いを医師やご家族と共に行い、それを共有する」ことです。延命治療希望の有無、暮らす場所、暮らし方などについて考えておくのです。
医学技術の進歩で、病気が完治できなくても長期間生存が期待できるようになりました。
でも、「最終末期は病院で医療を受けながら過ごす」というこれまでの考え方から、自分の住み慣れた場所で老いていく=Aging in Placeという概念が提唱されるようになってきました。
これは、「弱ってきたときにどこで療養したいのか」を考えさせてくれます。

そして、もう一つは「最後の最後、延命治療はどこまでやってほしいのか」を決めておくことです。
救命と延命は分けて考えます。餅を喉に詰まらせたような場合は、「救命」です。今、処置をすれば助かる可能性が高い。
でも、「延命」は、この処置をして一時的に命が永らえたとしても、すぐまた生命の終焉(しゅうえん)が迫っているという段階でのしのぎの方策です。胃ろう、気管切開、人工呼吸器……。さまざまな選択肢が出てきます。
延命どころか自分が寝たきりになった場合には最低限と考えられる救命さえ無用と考える人もいます。
そうした自分の思いを、意思表明としてご家族や医師と共有しておくことが大事です。

<20年後、自分がどう死にたいか>
なぜ地方で訪問診療医をやっている私がこうしてメディアの取材を受けたり、書籍を出したりするかというと、別に自分の名前を売りたいわけではありません。今携わっている在宅医療は、私が20年後に自分が老いたら受けたいケアだからです。
私が麻酔科医になったのも、終末期医療に携わりたかったからです。
一人の人間が亡くなるとき、医療ではもうなすすべがなく無力だと思うことがありました。
ただベッドで死んでいく患者さんを見て「患者さんが亡くなっていくときも、死の前の時間を大切にしてあげたい」「死を前にした人の苦しみを取る医師になりたい」と思って、痛みの専門である麻酔科医に進みました。
その後は病院内で手術やICUの麻酔科医として勤務していましたが、あるホスピス(緩和ケア病棟)で研修を受けているときに「在宅ホスピス」という新しい取り組みを知りました。
がんの末期状態や老衰などの状態でも、自宅にいる患者さんの表情が病院で見てきた患者さんの表情とあまりに違い驚きました。とても穏やかなのです。そして「病人」としてではなく「一人の家庭人」として過ごしておられたのです。
これなら穏やかな人生の最期を見守ることができると思って、在宅医療に転向しました。
最後の時期、医療にできることがなくなっていっても、亡くなってゆく中でも見捨てず、しんどさを取るくらいのことをしてあげたい。
その人がその人らしくわがままに気ままに死んでいくのを邪魔立てしない。
それをしたいと思ってやっています。

でも今、訪問診療医はまだまだ足りていませんし、何より求める声もまだ大きなものではありません。医師の中では、在宅医療は超アウェイです(笑)。
「こんなケア私も受けたい」という一般の人の声がどんどん増えることで、介護職や医療職を動かしていくのです。
私も自分が年をとった時、そんな医療を受けたいから日本の医療を変えていかなくてはいけないと頑張っています。
何かを変えるのには15年や20年かかります。私が今やっていることが、20年後に「その人が生きたいように生きて、死にたいように死ぬ。わがままが通るの当たり前やん」という日本に変わっていると信じて、気長に頑張っていきたいです。

(構成:岩辺みどり、編集:上田真緒、撮影:松村シナ、デザイン:國弘朋佳、早山 悟)