看取り医が出家 僧侶となって見えたもの

麻酔科医から、プライマリケア医でもあり“看取り医”でもある訪問診療医に転身された『おかやま在宅クリニック』院長、岡山容子先生。前回に引き続き、岡山先生の在宅医療の在り方、ご著書『それでも病院で死にますか』について伺います。

岡山容子(おかやま・ようこ) /筆名・尾崎容子(おかざき・ようこ)
訪問診療医。『おかやま在宅クリニック』(京都市中京区)院長。1971年、大阪府に生まれる。京都府立医科大学卒業。京都府立医科大学麻酔科学教室、集中治療室、西陣病院(京都市上京区)麻酔科勤務を経て、2013 年、千春会病院(長岡京市)在宅医療部に勤務。2015年、京都市中京区に在宅療養支援診療所「おかやま在宅クリニック」を開業。2018年より、産経新聞大阪本社地域版(中国四国、京都、兵庫、和歌山、三重、福井)にて「在宅善哉」を月2回連載中。2020年6月、真宗大谷派僧侶資格取得。2020年12月、『それでも病院で死にますか』(講談社ビーシー、税込1760円=オンデマンドペーパーバック版)を出版。

「プアな医療と看護」からの決別を覚悟

――ご著書『それでも病院で死にますか』をご出版されたきっかけはなんだったのでしょうか?

実は3年程前から執筆を始め、自分なりに出版社に持ち込みをしていました。行く先々で「面白いし読みやすいけど商品にならない」と言われました。そこでなるほどと思い出版講座に参加し出版について学びました。再度、いくつかの出版社にアプローチを掛けて実ったという段階を経ています。

――では、めげることなく執筆し、出版まで粘った目的とはなんだったのでしょうか?

伝えたい医療があったからです。まず、看取り医を選んだ理由は「自分の受けたい医療が今ここにはない」というものがあったからです。病院は「治す医療」、在宅は「支える医療」と役割が異なり、私たち看取り医は「死をゴール」にして患者と家族を支えます。では、その両者が充実しているかといえば、私が進路を選択した時と今と比べても、まだまだといった状態です。

今、現在のこの医療の中でもしも私が癌になって死ぬとしたら、激怒しながら死ぬと思うんです。「もうちょっとしんどさをとることを一生懸命考えてほしい!リスクとかじゃなくて!もう死ぬ前なんだからリスクより日々の安楽を考えてよ!」とか「どうして看取られる側の要求が通らへんねん」とかね。様々な納得の出来なさで激怒しながら亡くなるだろうっていうのが予想できます。

または、私が例えば20年後に亡くなるときに、「なんでこんなプアな医療とこんなプアな介護で亡くならなあかんねん」って怒らなくて済むように、まずは自分がベストと思う医療を提供しようと、当初から思ってきたのです。

それでも病院で死にますか
人生の最期、住み慣れた場所で旅立つ幸せ
講談社ビーシー 1760円(税込)
第1章 病院は病気を治すところ。死ぬまでお世話になるところではありません/第2章 在宅で母を看取って。最後まで「気まま」を通しての旅立ちでした。/第3章 終末期と在宅医療。「自分の居場所」で生きる喜びを支えて/第4章 京の街の在宅の方々。その日常と、穏やかな旅立ち/在宅は「死がゴール」。自宅で迎える「穏やかで明るい看取り」/第6章 死ぬのは一生で一回きり。訪問診療、訪問看護の今どき使い方

本は「納得医療」を目指す先生方へのメッセージ

当然、自分のベストと人のベストは違います。だからこそ自分の価値観を一切交えずに、緩和ケアにおけるオプションを豊富に取り揃えて患者さんに提案し、一つ一つわかりやすく説明して選んでもらう。私の人生観ではなく、相手の人生観にマッチするメニューを用意して、それをプロフェッショナルとして提供することを今試みています。

それにより、ご家族もご本人も怒ることなく、穏やかに納得して亡くなっていかれる方が多いと感じています。私はこれを「納得医療」と呼んでいます。そしてその手応えを感じているので折に触れ後進に伝えていきたいものですが、私のように大学と関係ない開業医が伝えていくのは困難なことです。どうしたらお伝えできるだろうと考えたツールが本であり、出版して思いを伝えたいと思いました。ところが前述のようになかなか思うようにはいかないのが現状でした。出版を企画するにあたり、「売れる本」を作ることが求められていることがわかりました。そこで読者層を考えたときに、市民をターゲットにすることが「売れる可能性のある本」であり「出版社に作ってもらえる本」になると考えました。そんなわけで一般向けの内容になりました。実際、患者さんからも「読んだよ、よかったよ」とおっしゃって頂き、なんとか役に立てているのかなと感じています。

――では先生なり看取りの工夫というのはなんでしょうか?

例えば避難訓練した事がある人としたことない人の差があるように、経験値や知識がないう方はパニックになるのと同じと考えます。私の仕事はあらかじめ知識をお伝えして「これは自然なことで怖くないんです」とお伝えすることに尽きると思います。

そして、ご家族にもご本人にも「良かったね」という言葉をプレゼントすることです。例えば入院を希望されて病院でお亡くなりになられても「病院で最期、しっかり診てもらえてよかったですよね。」と言いますし、ご自宅でお亡くなりになられても「ご自宅で皆さんと生活する中での旅立ちで、『病人』としてではなく『家族』として旅立たれましたね。よかったですね。」と言います。

また、急なお亡くなりになった場合、ご家族もびっくりされますよね。その場合は、言葉によるケアが必要であると考えます。予想外に早く亡くなられた場合、どなたも無念に感じられますし「大往生」という言葉は受け入れがたいと思います。
こういう時は「このような急な旅立ちで驚かれることと思います。昨日までごく普通にお過ごしだったのに、『なぜ』というお気持ちでしょう。この言葉が適切かどうか、難しいと思いますが、最期までお元気で、この方らしい生活のままの旅立ちを『大往生』という言葉を私の方からさしあげたいと思います。ちょっとお気持ちがまだ落ち着いてないままでこの言葉を受け入れることができないかもしれませんので、私の言葉が不適切に感じられるかもしれませんが、これまで多くの死を見てきた私には『さすが』『立派』と感じられます」とお伝えしています。このように「良かったね」という言葉でどなたの旅立ちもねぎらっています。

――先生おひとりで患者さんを抱えられ、大変ではないですか?

日中のうちにちゃんとやっておけば、夜起こされて患者さん宅に出向くということは、そうありません。よく「大変でしょう? 24時間365日オンコールで拘束されて大変でしょう?」と言われますが麻酔科時代の3分の1ぐらいの負担というところです。

麻酔科医の時は1年の半分以上はオンコール状態ですし、呼び出されたらまず6時間は帰ってこれない。術前回診があって、オペが早くて2時間ぐらいで終わったとして、そこから後片付けがあって、やっぱり6時間ぐらい拘束されちゃう。

でも、この終末期医療であれば、夜中に呼び出される多くが、夜中に尿閉でバルーンカテーテルが欲しいなどのどうしようもないリクエストになりがちです。それも私のクリニックの規模(患者数70名程度)ですと年に数回程度。

勿論、看取りに関してはしょっちゅうある訳ですが、それは1~2時間で往復できるわけですから麻酔科ほどの負担感はありません。外科系のドクターからしたら、もうなんてことはないと思われるレベルではないでしょうか。

出家の理由とは?

――2020年6月にご出家されたそうですね。

2019年11月に出版したあとのことですが、真宗大谷派僧侶資格を得ました。みなさんから「なぜ僧籍をとったのか?」と理由をよく聞かれます。実はそれほどドラマチックな理由はなく、「お坊さんになりたいと思ったから」というのが正直なところです。
弱りを抱えた、人生の最終段階の方を支援する僧侶である三浦紀夫先生(兄弟子)とご縁をいただいたので「お坊さんになりたい」と飛びついて僧籍をいただいた、というのが本当のところです。三浦先生とは出版講座のセミナー飲み会でご一緒したという「飲み会の縁」です。

子どもの頃から「お坊さん、いいなあ」と思ってきました。死について考えることが多い子供でしたし、「死後の世界」の存在も、輪廻転生も信じています。「死後の世界はあると信じている」というよりは「死後の世界はあると知っている」というレベルで信じています。

患者さんをお看取りするということは、駅に無事に患者さんをお連れして、死の旅の列車に乗せるような仕事だと考えます。その途中で「死後の世界」についてお話することもあり、「先生、お坊さんみたい」と言われることはよくありました。

僧侶となることは、人生の最終段階における医療の仕事によく調和するものだと感じていました。私が日々行っている人生の最終段階における医療では死は身近なものであり、死と死後のことについて思うことが、今を生きる患者さんの心に寄り添うことにつながるとも思っています。

人が「死後の世界」が当然あると考えるとき、「死んだらずっと見守ってあげるよ」など、その方の大切な方に伝えることができます。自分の死を目前にしても「将来の希望」を持つことができるのです。どんなときにも希望が持てるということは大切ですよね。

そんな医療を目指して在宅医療の道に進みました。日本では現在、7割以上の方が病院で死を迎えています。積極的治療の後の死を、病院の治療スタッフは「死は敗北」ととらえるような面があるように思います。では本当に死は敗北なのでしょうか? 人間は、生まれたその日から最後の日を迎えることは100%決まっています。だったら人はみな敗北の末に死を迎えるのでしょうか。私は、そんなことは決してないと思います。死を敗北ではなく、ゴールとみなす医療があってもいい。それが私の目指す医療です。

――いかがでしたでしょうか。岡山先生の訪問医療の形は『それでも病院で死にますか』にまとめられ発売中です。看取り医を目指す先生や医学生、またご興味を持つ先生はぜひお手に取ってみてはいかがでしょうか。

写真・文:泉美 咲月