第6回
【尾崎容子】正しい人生じゃなくていい。その人らしく好きに生きて
2020/3/13ニュースピックス第6回掲載分(有料記事のためそのままではなく一部改変しております)

高齢化社会日本。2025年には年間150万人以上が死亡し、ピークとなる2040年には168万人が死亡すると予測される。介護や看取りは他人事ではない。そして、自分自身もいつかは迎える「死」。

もう積極的治療は難しく余命を考えるようになった時、あなたはどこで最期の時間を過ごしたいだろうか。

訪問診療医の尾崎容子氏は、人生の終末期を自宅や施設で過ごす人を支え、多くの人を看取ってきた。最期までその人らしく過ごせるように寄り添い、支える家族や周囲の人に「看取り勉強会」を開く。

「知らないことで不安になる。身体の弱りや死について、きちんと知識を持つことで不安は減ります」と語る尾崎氏の看取りのあり方とは。(全7回)

<グダグダのままに>
「酒をやめるくらいなら死んでもいい」という方いますが、私は「じゃあ、やめなくていい」と言います。
医師としてありえないと思われるかもしれませんが、もう余命数カ月という人がお酒を飲むのをやめたからって数日変わるかどうか、というくらいなのです。
「きれいな人生」とか「正しい人生」にさせるのが私の仕事であるとは思っていません。グダグダなら、グダグダのままにしておかないとその人らしさが損なわれるんです。
今回、一緒に取材で訪れた70代の男性も、たばこはどうしてもやめられないのです。

5年前に奥様を自宅で看取り、その時私が在宅医療を担当しました。当時は動き回って、奥様の世話をよくしていらっしゃったけど、今は郵便受けまでも行くことができません。
それでも、工作が大好きできれいな工作を作っては時々来る娘さんやお孫さんにあげたり、私たちにも分けてくれます。

食事も固体はもう難しいので、医薬品のゼリー状の栄養剤などを少しずつ摂取する程度です。どうしても肌が乾燥してくるので、
「保湿剤しっかり塗ってね。水も滴るいい男だね」
なんて言いながら、保湿剤を塗ってあげながら使ってくれるように声をかけます。

たばこを吸うといっても、つらいから1日少しだけなんです。そのたばこを取り上げるのではなく、酸素も用意しつつも、酸素をたばこと一緒に吸わないように、酸素を吸うのは動いてしんどくなる風呂に入るときだけにしようとか工夫をしてあげる。
もうその人が70年も80年もやっている生活に「体に悪いからやめなさい」と言ったってやめるわけがないのです。
「今さらやめても寿命は変わらないよ。その代わり、一服一服をおいしいと思って吸ってください」
そう話します。

終末期医療は、その人の価値観に合った医療プランをいかに提供してあげるかだと思っています。
自分の人生観を押し付けるより、その人の人生観のまま、残りの人生を過ごすのをお手伝いする。
散々頑張ってきた人生です。もう残りの時間くらい好きにご機嫌な生活をしてほしいのです。
正しくさせるための医療ではなく、その人にマッチした医療とは何かをプロの目で選択して整える。私は終末期の医療をそう考えています。

<最期でも和解しなくたっていい>
最期の瞬間に立ち会わなくてもいい、ということ以外に驚かれることとして、「死ぬからといってうまくいかなかった家族が和解する必要もない」というのがあります。
もちろん最期の時期に和解できたらいいですよね。でも、これまでの人生に勝手なことをしてきて、最期だけ許す気になれない、という家族の気持ちも真実です。
私は母とはちゃんと別れができていません。母を2年前にがんで亡くした時、在宅医療の主治医として看取りました。
小説家の妹、尾崎英子が『有村家のその日まで』(光文社)という作品としてもその頃のことを書いていますが、母は私たちが幼い頃からおかしなものに引っかかり、おかしな人を吸い寄せるような人でした。
がんだとわかった後も、怪しいなんとかウォーターに数万円かけたり、貼ったら水が浄化されるとかいうシールを買わされて家中に貼ったり、飲んだら余計体が悪くなりそうな黒い液体を買ってきて飲んだり。おかしな民間療法や祈祷に多額のお金を出し、出された薬は勝手に飲むのをやめてしまう。そんな人でした。
周囲には、「医者である娘が、なぜそれを否定しないんだ」と言われましたが、もうそんなおかしな状況を幼い頃から見ているので、私が言っても聞かないのは目に見えてるんですよ。だからもう、「それ飲んでおなか痛くならなきゃ、ええやんちゃう?」という程度。
民間療法も祈祷も、お金の問題はありますが、本人がそれで楽になるんだったらいいんだと思います。もう余命が変わらないのですから。

そんな母だから、生きているときにいっぱい大変な目にあってきた娘としては、みんなが棺にお花を入れて「ありがとう」と言っているときに、私は「母に対してありがとう? なんで? あんたら(私以外の家族)は、どんだけお人よしやねん」と思うわけです。
でも無言というのも、あまりにも大人げないなと思って、悩んだ結果「お母さん、いってらっしゃい」と花を供えました。妹がエッセイなどでもその言葉について何度か触れていましたが、あれは私の苦し紛れの一言でした。
「“ありがとう”はない、ない。でも、またあちらに行ったら会うんだろうなあ」みたいな。
だから、生前には母との間にきちんと別れができなかったわけなのですが、亡くなってからも母と私の対話はずっと続いています。自分自身のグリーフケアの一環ですよね。

<その人らしい最期にしてあげる>
でも、母だけでなく誰に対しても、私は同じように治療しますし、同じようにそうした民間療法や祈祷も否定はしません。
それで気持ちが楽になるのであればその人の生き方だし、その人が「もう生きたな」と思って生きたら死ぬ時がくる。死ぬときに邪魔立てされて腹が立ちながら死ぬよりは、その人が生き切ったと思って最期を迎えることができたら何より。
それは、私自身が死というものを、全く悪いものと思っていないというのがあります。
よく「こんなお仕事をされていて辛くないんですか?」とか「この仕事は悲しみを束ねる仕事ですね」と言われて、ものすごく違和感を感じ、「は? なんでそうなるの?」「なんでそんなしんどいことばかりって思われちゃうのかな?」となるんです。
「死んだってええがな。どうせ行くところだから」と思っているところがあるんですね。
そして、前にもお話ししたように自分が慣れた自宅や施設で穏やかに亡くなる患者さんは、ご本人も看取る家族も穏やかなんです。
だから、「さみしいけども、またあっちで会いますやろう」と思うのです。