もうすぐ日付が変わる8月16日午後11時過ぎ。
本日は京都では大文字の送り火の日です。
今年はコロナ禍で五山の送り火が縮小して行われるとのことだったのですが、その前に不届き者が如意ヶ岳(大文字山)に上ってライトで「大」の字を作るいたずらをしたのだとか。
学生さんのいたずらだとすれば、きちんと名乗り出て謝っていただきたいものです。社会人のいたずらだとすれば、社会制裁を受ける必要があると思います。
やるからにはあとの始末もきちんとしてほしいものですね。

さて、私にとっては8月16日は母の命日の前日です。
ああ、母はお盆を過ぎてから逝ったんだなとあらためて感じます。
母がお盆過ぎに亡くなったため、当家の菩提寺のご住職は「ハワイに夏休み」に行ってたとのこと。それで菩提寺以外のお寺様に戒名をつけていただきましたが、私としては今一つ納得できるような、納得できないような戒名でした。
今年、菩提寺のご住職が改めて戒名をつけてくださったとのことで、実家に墓参りに帰ったところ、新しい戒名を見ると、母の生前の字を使った無難な名前を頂いていて、安心しました。よかったです。
前の名前がどんなものだったか皆様気になると思うのでちょっとご披露すると、「夏雲~」という名前でした。確かに夏の入道雲の夕立や雷鳴のように激しく怒りに任せて怒鳴り散らすタイプ(それは私も同様で、遺伝の強さを感じます)の人なのですが、それを戒名にすることないのでは?と思っておりました。新しい名前はごく普通の(忘れてしまうような)戒名です。思い入れの強い、心に残るけど、人名としては不適切なキラキラネームから、普通の、忘れられるような名前に改名する子供さんの気持ちがちょっとわかる、そんな気持ちです。
まあ、旧戒名をくださったお寺様にも相当なご迷惑をおかけしたものね。お母さん。

明日の命日に私は墓参りができずほかの姉妹がお墓に行ってくれます。
2017年に母が亡くなりなり3年。
気持ちの痛みは残りますが、3年経つと穏やかな気持ちで母の死を思うことができます。
今当院ではグリーフケアの勉強会をNPO法人ビハーラ21の協力でおこなっており、今年は2巡目の勉強会を行っています。
去年、「グリーフの急性期はどれくらいなのか?」と講師の先生に質問したところ「4年くらいです」と言われ驚きました。
私は「1年たったらお気持ちは落ち着くだろう」と思っていたのです。
しかしながら自分自身は犬を亡くして今年で4年ですが、去年などはまだ犬のことを考えただけで涙があふれてくる状態でしたし、確かに4年は悲しみの急性期なんだなと実感できると思ったものです。母を亡くして今年でまる3年。母を思うときに亡くした当初の気持ちとも、1年2年経ったときの気持ちとも違う3年目の気持ちがありますがまだ悲しみの急性期なんだなと感じます。

母と私は、超絶、関係の悪い親子でした。
関係が悪い一方で、おそらくは母の4人の子供(女児4人)の中で、一番母と似たものどうしでもありました。
激情的で怒りを抑えることができない似た者同士が二人いたらどうなることか、だいたい想像はつくことと思いますが、二人のなかでは理性的な私がなんとかこらえつつも、母を許せない私との関係はあまりいいものではありませんでした。
母の悪いところを言えば、きりがないほどで、母の悪いところを思うといい関係にはなれませんでした。
一方で、母のカラリと明るくいつも陽気で人を楽しませる性質については私も大好きでした。頭がよく、勉強好きで、集中力があり、新しいことを知ると喜んで知らせる母でした。
人に任せたら自分のやり方と違っても文句を言わないでしっかりお任せすることができるのも母のいいところでした。正義感が強く、自分がお金に困ってもユニセフに寄付をするような母でした。いいものを子供のそばに置いておくけれど、それを使うように強制することもありませんでした。
ありえないほどの悪い毒親であり、ありえないほどの悪人であると同時に、他には見ないほどの明るく爽やかで魅力的な人でした。そしてその両方を自分が一番良く似ているなあと良くも悪くも苦笑しつつも思います。
私自身は「ありえないほどの善良な人間であると同時に、情けないほどのどうしようもない弱く汚い人間である」ことを自覚しています。
母ほど強烈で法を犯したり、他者や企業に損害を与えたり、新興宗教その他に借金してまで入れ込むほどではないにせよ、それなりの悪人である自覚はあります。母のスケールを小さくして、もうちょっと世の中に役立つ人になっている、というところでしょうか。宗教心や信仰心でも母には及びませんが、母ほど入れ込む必要もないよと思っております。母によく似ている自覚はあるし、母のことは大好きでありつつ、大いに嫌悪しております。
それでも、母とは心の中で対話を続けています。「お母さん、あの迷惑、めっちゃ役に立ってるわー。こんな困った患者さん、いるんやけど、お母さんと一緒やわ。」「お母さんがあんな風に脳転移からの症状起こしたの、あれ、本当にいい経験させてもらったわ」とか、あれこれ話しています。困った患者さんを見るとたいてい「まあ、母ほど自己中心的でもないな」と思ったりもして、母を最低限度の基準にできるので、それもまたありがたいことでもあります。母を患者として受け入れた経験が、他の気ままな患者を受け入れるおおらかさにつながっていると思うと、それは母からの最高のプレゼントだったなとも思います。母の3回目の命日。4回忌にあたる日。母の悪いところもいいところも、どちらも思いながら過ごしたいです。