実は、ブログを12月の初旬に更新するつもりでおりましたが、うかうかしている間に時が経ってしまって、先ほど家族から「今年ってさ、あと10日ほどなんだよね」と言われて慌てて更新している次第です。

さて。もうちょっと後の時期に一年の振り返りはするとして、本日の話題は、「選好の自由」ということばです。

選好の自由、というのは、「好きなことをしてるだけ悪いことしてないよ」という伝説のガールズバンドPrincess Princessの往年の名曲ではありませんが、好きなものを選ぶのは自由だということです。
医学的にあるいは社会的に「それはいけないでしょう」と思われることでも、本人の判断として選ぶことは自由である、ということです。
具体例を挙げてみましょう。
おむつを穿きたくない、という方がいます。でも、失禁をしょっちゅうします。着ているものも、家具も尿汚染がひどくて、家族も困っている。こういう時には一般的にはおむつを穿くのが望ましいと考えられますが、この人が「おむつを着けたら、もう、脳梗塞以前のような元気な状態に戻れないような気がするから着けたくない」などのそれなりに論理的に通っていて、自分の表出ができるのであれば、それは選好の自由として認められるべき、というものです。
なかなか破壊力のある選択ですね。

こんな時、皆さんが支援者ならどうするでしょうか。ご家族が困っていることから説得するでしょうか。
実は私どもの「看取りの安心勉強会プロバイダー養成講座」ではこういう時に「説得しない」ということを指導しています。説得しても、意固地になることが多く、あまりというか全く効果がありません。一時的にしぶしぶ応じても、結局また自分の意見に戻ることが多いです。それより、「おむつを着けたくないのですね」とご本人のお言葉を反復して気持ちをお聴きします。「この人わかってくれる」と思っていただけるようにこの人の話をお聴きし、そのうえで、一旦はそのお気持ちに沿っておむつを着けない支援を考えます。おむつを着けない状態でご家族の困りが小さくなるような支援はどうすればいいのか……。シートをベッドに敷く、椅子にシートを敷く、などが考えられるでしょうか。

このように、一見不合理に見える選択であっても、選好の自由を尊重する、という考え方が認められ始めています。
先日厚生労働省の委託事業である「本人の意向を尊重した意思決定のための研修会」のファシリテーターとして研修に参加しておりました。ファシリテーターって何?というと、研修を受ける人のお手伝いをする人です。グループに配属されて、研修生のワーク(グループ内での作業)が円滑に進むように、またワークの方向性が学習内容の意図と異なる方向に行かないようにするお役目です。ティーチャーではないので、研修生に教えたりはせず、質問が出た場合は、講師の先生に振って、学習の場全体で質問を共有できるようにしたりするスタッフです。
本当はこの研修に参加しようかと申し込む予定でおりましたが、ファシリテーターとして参加することで複数回参加することができました。とても勉強になりました。

そして、今日本の医療の方向性は、「お医者様が一番偉い」というようなことから「ご本人を一番身近にみている介護職こそが現場のリーダーシップをとっていくべきでは?」というように変えていこうとなってきています。まだまだ先は遠いけれど…。
これは私の目指す納得医療と方向性は同じで、自分がしていることが間違っていないのだと実感され安心いたしました。

「納得医療」は選好の自由が認められ、十分に医療的な情報を得たうえで迷いながら、「選べない」などの揺らぎを認められながらも、自分の思いが大切にされる医療、と私は考えています。「納得医療」は「患者中心医療」よりももっと患者寄りの概念ではないかと私自身は考えています。今回の「本人の意向を尊重した自己決定支援」は、まさに医療的な適合性よりも選好の自由が尊重されると明記されているあたり、日本の厚労省が目指す自己決定支援の考え方は、納得医療に近いものだと感じました。一方で、そんな医療はどこで行われているのだろう、とも思いました。
私のしている納得医療はかなり個性的と感じられ、一般の医師からみると、遠いところにあるようです。

カタカナ概念で辟易ですが「コンコーダンス」(con は「共に」、cordは「紐で縛る」。コンコーダンスとは、調和、などの意味)とは、『患者と医療者が同じチームの一員』と考える概念で、患者と医療者がパートナーとして、いっしょに情報を共有し、対等の立場で話合って治療を決めていくという考え方です。たしかにこれは「納得医療」だと思い、私自身、このようにお薬を決めています。特に漢方薬では漢方薬のマニュアルをみながら「こういう症状に効く」というところを読み上げて、患者さんが「それを飲みたいな」というものを飲んでもらうようにしています。そのほうが、お薬を嫌がらずに飲んでくださるからです。
このように「コンコーダンス」という概念を実現していくためには、医療者は患者さんの価値観や好みを尊重し、「医学的にはこれが正しいから」と決めつけずに、気持ちや生活に関わる問題にも配慮して患者の言葉を否定せずに対応することが必要とされています。もちろんこれは言いなりになることとは全く違うことであるのは言うまでもありません。共に作り上げていくことなんですからね。

納得医療はコンコーダンス的であり、選考の自由を尊重し、揺れる気持ちに共に揺れながら、結論ではなくプロセスに「納得」できる医療です。
こんな医療が日本の医療の当たり前になる日が来ると思います。