【看取りの安心勉強会 第9回】

<最期の時に家族がともにいる必要はない>

皆さんに知っておいていただきたい大切なことは、お亡くなりになる瞬間を見届ける必要がない、ということです。驚かれますか?

人によっては、ずっとご家族がついていたのに、トイレに立ったわずか5分のあいだに旅立たれるなど、「なぜこの瞬間に逝くのだ?」と言いたくなるような方がいます。逆にずっとご家族がおられなかったのに、ご家族が集まられた直後に旅立つ方もいます。その瞬間は我々の手に届くところにはないのです。

「先生、もうそろそろ仕事に行かずに家にずっと居ったほうがいいですね?」という問いに対しては「旅立ちは今日かもしれませんが、今日じゃないかもしれません。仕事中は無事で、帰ってきてご家族が寝ている間に旅立たれるかもしれません。普段通りお過ごしになってはどうですか?」とお伝えしています。また、夜寝ているうちに旅立ってしまったらどうしようとご心配されるご家族にも同様に「お休みください。今日徹夜しても明日昼寝している間に旅立たれるかもしれません。いつも通りにお過ごしください。」とお伝えしています。

「生活の中の生、生活の中の死」なのです。一緒に死への旅路を歩いてきて、別れの絆ができているはずです。「最期の瞬間だけ」が大事なわけではありませんよね?「きちんとお別れができているでしょう?できてない?!じゃあ、きちんとお別れをしてください。」とお伝えしております。そして今回の一連の連載の最初にお伝えした「お別れをきちんとしてください」にお話は戻るのです。

合言葉は「いつも通り」。生活の中の生。弱りの中、五感を満足させるケアで日常を支えてきたのです。生活の中で死が訪れることは自然なことであり、特別見張っておかなくていいのです。

「いつも通り」ではなく、特別頑張ってしまうと介護者が疲れてしまいます。すると「その日を待ってしまう」自分が出てきてしまいます。「待ってしまう自分」が介護者自身を苦しめます。夜「明日もまた無事でいてほしい」と思って寝るのと、「一体いつ逝ってくれるのだろう」と思って徹夜するのとどちらがいいでしょうか、ということです。

そして医療介護従事者の皆さん、「もうすぐだからなるべくそばにいてあげてね」・・・この言葉をやめていただきたいのです。これを言われると、ずっと緊張から解き放たれないのです。そして一瞬離れたすきに旅立ちがあったなら、10年20年とご家族は後悔されるのです。どうか「最期の時はそばにいて」から解放されていただきたいと思います。

 死は悲劇ではなく、人が生きていれば当たり前にやってくる時間なのです。

 長いお話をお読みいただき、ありがとうございました。知っていただくことで死への怖さが少し減るといいなと思います。死を見守るのに必要なのは、「覚悟」ではなく、「知識」であることをご理解いただけると幸いです。