先日、初めて一緒に看取りをする訪問看護師さんのステーションから連絡がありました。

2日後に看取りの安心勉強会をする予定で、そのステーションの看護師さんにもご一緒にお話を聞いていただく予定でしたが、思いのほか早く状態が悪化してきており、早めにご家族に説明をしてもらいたいという内容でした。

その時に、看護師さんから「『そろそろ危ない』とご家族様に伝えてもらえませんか?」と依頼されました。私はその言葉を反復して「では、看護師さんは『そろそろ危ない』とご家族様に伝えてほしいということをおっしゃっているのですね?」と確認しました。そして看護師さんが「はい、そうです」とおっしゃった後で、続けました。

「私は『そろそろ危ない』と言うことは決して言いません。なぜなら『危ない』ことではないからです。人が弱り亡くなることは自然なことで、まったく危険なことではないからです。『危ないですよ』というのは危機回避できる場合にはアドバイスになります。しかし、回避できない事態の場合はただの脅しになってしまいます。同様に『覚悟してください』ということも言いません。たとえば『覚悟しな』とマフィアのボスが銃口を突き付けて言う時、これは確実に脅し文句です。私たちは患者さんや家族さんを安心させるために行っているのに、反対に脅してどうするということです。『危ないです』『覚悟が必要です』など、怖がらせる言葉はやめてほしいと思っています。

私は『残り時間が短いです』と表現しています。『残り時間が短いですが、時間がまだ残っています。間違ってはならないのは、私は亡くなりゆく人を診ているのではなく、今生きておられる人を診ているのです。時間がまだ残っていて、今生きておられるこの方がどうしたら喜ばれるだろう、どうしたら安心されるだろうということをお伝えしようと思います』と伝えます。

安心して患者さんが過ごしてくださるための工夫についてのことや、これから起こる身体の変化についてのことを伝えた後、『自然なことです』『変化がありますが、怖いことではありません』など、安心させる言葉をかけようと思います。」と看護師さんに言いました。

多くの医療従事者が「そろそろ覚悟が必要です」「そろそろ危ないと思います」などの表現を使います。それは急性期医療で使われてきた用語です。若年者が思いがけず致死的な状態になった時に、なんとか死を回避できないかと治療をするときに「もしかすると危ないかもしれないが、なんとか死を回避する必要がある」などの場合に使ってきた表現かと思います。

しかし、慢性期医療の療養の末に亡くなられる場合は死を回避しようとしても難しく、また、死が訪れること自体は自然なことであるのです。その時に、誰かのせいで亡くなるわけでもなく来るべき時が来るときに、最後の時までできることがある、ということを伝えることが大切だと思っています。医療は終末期にはお役に立てず無になりますが、それをむなしく感じる必要はなく、ケアは最期まで有効であると考えればできることはいろいろあるかと思います。ただそばにいるだけでもいい、そしてそばにいなくてもきちんとお別れができていればいいということを知っておいていただくと、そばにいる人は追いつめられる気持ちから解放されるのではないかと思います。

自然なことが起こる、ということ。悲しく寂しいことであっても自然なことであるということ。それをきちんとお伝えすることが大切かなと思っています。