先日ご遺族訪問をいたしました。
その時に大変穏やかな最期であったことに話題がおよびました。
私は穏やかな死を喜んでいただいているのかとばかり思っていたのですが、ご家族は
「ありがたかった反面、なんだか頼りないというか物足りなかった。
もっと泣きわめいたりしていいのにと思っていた。もっと苦しむのをしっかり支えてやりたかった」
とおっしゃったのでした。
実は以前、もっと違う表現ですが穏やかな死に対してはっきりとご不満を伝えられたご遺族がいらっしゃいました。その時は
「もっと、泣いても喚いてもいいから、『生』を感じたかった。あんな寝てばかりの状態なんて見たくなかった。」と言われたのでした。
その時は「あのー・・・・。私の仕事は苦痛をとって穏やかな死に導くことなのですよ。苦痛をとって穏やかにするのを否定するなら最初から私に頼まなきゃいいのに」とかなり悲しく感じたのでした。悲しく感じるほど強く非難された、ということなのです。

今回は笑いながら「いや、贅沢な話なのですがね。苦しんでたらやはり辛かったと思うし。」としっかりご理解いただけていたので問題ないと感じておりますが、実はこれはこれで私もそう感じられるお気持ちはわかります。

家族としては苦しんで欲しくない、というのははっきりとしたご希望なのだろうと思います。
一方で、死にゆく人を全力で手助けしたい、というのもご希望としてあるのだろうと思います。

家族がヘトヘトになるくらいせん妄が強かったりするとそれはそれで大変ではありつつもやりきった感があるのでしょうけれども、痛みがほとんどなく、最後まで機嫌よく、穏やかに眠るように亡くなると拍子抜けしてしまうというものなのでしょうね。

しかし、本当に苦痛が取ることができず、またせん妄が強くて「病気が言わせている」とわかっていても聞いているご家族が辛くなるような言葉を患者さんが言い続けると、ご家族は苦しいお気持ちがなかなか取れないだろうと思います。
そして何より支えている私や看護スタッフも苦しい気持ちから逃れられないものです。
私は苦痛を取りきれなかったご家族に1年経ってから会いに行ってそこでようやく自分自身の気持ちに整理がついたし、ご家族へのお詫びを受け入れていただけたと感じて重荷から少し解放されました。

やはり、苦痛は取れるならば取った方がいいと思います。
少々物足りないくらいが理想的というところではないでしょうか。