今日は京都では五山の送り火の日です。
「大文字焼き」などと言うと(京都の地元の皆様に)怒られますのでご注意を・・・・。

写真は京都府立医科大学緩和ケアキャンサーボードという症例検討と研修会の前に撮った如意ヶ岳、大文字です。この2時間後に送り火が点火されました。

さて「もう、死にたい」とおっしゃる方に対してどのように返事をしていいかわからないとおっしゃる介護職、看護職の方からの悩みの声をお聞きすることがしばしばあります。

死を話題にする人にどう対応するか、ということについてはなかなか難しいものです。

死についての比較的否定的なニュアンスの発言をするときにはそれに対して回答を求めているのではなく、深いコミュニケーションを求めているのだそうです。

「こんなにつらいならもう、化学療法なんてしないでこのまま死にたい。長生きなんてしたくない。もう死にたい。」とおっしゃる方に対してなんと言葉をかけましょうか。
正解はありません。いろんな人がいろんな答えを出すことでしょう。

この方のご家族は
「またそんなことを言う。そんなつらいなら入院するか?」
また他のご家族は
(涙ながらに)「そんなこと言っちゃいかん。生きたくても生きられへんかった人もたくさんおるのに。生かしてもらってることに感謝せんと。」

そのどちらも、この患者さんの心に響いたそうです。そのどちらもこの方の求める「深いコミュニケーション」だったようです。入院を勧めるご家族の心遣いにも愛情を感じたようですし、生きろと泣きながら言ってくれたご家族にも感謝をしておられました。

私自身は
「そうなのですね。化学療法を続けてもいいし、やめてもいいですよ。大丈夫。どちらでもしっかり支援します。ただ、『死にたい』っていうのは『死にたくなるほどに体がしんどくてつらい』って意味だと思っています。この『死にたくなるほど体がしんどくてつらい』ことには私がしっかりと対応してちょっとでも楽になってもらえるようにします。そして、体がちょっと楽になって『死にたいほど体がつらい』状態が終わってからまた化学療法を続けるかどうかを考えましょう。しんどいときに出す結論はいい結論じゃないことが多いからね。ちょっと体が楽になったらまた気持ちも変わるかもしれません。」
とお伝えしました。

そこから連日訪問看護師さんに入っていただいて体がかなり楽になったようです。「死にたい」と言っていた2日後に患者さん宅に伺うと、表情は明るくなっていました。
「私、死にたいなんて、ほんと馬鹿なこと考えてたわ。」
「東京オリンピックまで頑張りたい」
「化学療法続けます」
などの言葉が出て、死にたいという言葉は取り消されました。
そして「死にたい」と言った時のご家族の言葉にも感謝をしておられました。
この時「先生、家族にも説明してやってください」と入院を勧めてくださったご家族に電話をつないでくださいました。
「『死にたい』っていうのは『死にたくなるほど体がしんどくてつらい』って言葉を補って聞いてあげてくださいね。」と説明すると、ご家族もなるほどとご納得してくださいました。

また「みんなに『死にたいなんて言ったらあかん』って怒られました」とおっしゃるので
「いいじゃないですか。死にたくなるほどつらい副作用がある中で頑張って治療受けてるんだから、愚痴ぐらい聞きますよ!こんなに頑張ってるのに愚痴も言うたらあかんなんてつらいじゃないですか。言っていいですよ。」とお伝えすると「じゃあ、これからもしんどいときはしんどいって言っていいんですね」ととても安心しておられました。

「死にたい」という発言に対して「そうなんですね。もう死にたいくらいにおつらいのですね。」とそのつらい気持ちに寄り添うことばはいつでもOKというわけではないにせよ、つらい気持ちをそのまま受け止めることばです。

自分のつらさを否定されると「もう誰も自分のつらさをわかってくれない」と思うこともあるでしょう。
一方で「そうですか、死にたいのですね」と自分のつらさをそのまま肯定されると「自分が言うのはいいけど、他人にそんなこと言われるとグサッとくる」とか「この人は私の言う言葉をなぞっているだけではないか」などとそっぽを向かれることもあるでしょう。
ですから正解というものはない、のではあります。

泣きながら「死ぬなんて言うな、生きろ」と伝えることが相手の心を揺さぶることもあるでしょうし、背中をさすりながら「死にたいと思うほどに体がしんどいのですね」と共感することが相手の心に届くこともあるでしょう。

正解のワードはありませんが、対応が難しいときに「逃げないコミュニケーション」というものが正解になるのではないでしょうか。