日中は暑いですが、朝晩に秋の気配が感じられるようになりましたね。
もしかしたら今年は夏が終わらないのでは(そんなわけはないのでしょうが)と怖くなるほどの暑さだったので、ひと段落したことに少々安堵します。とはいえ地震水害被害から復旧がまだの地域もあり、災害復興支援をしている知人もいますし、決して他人事ではありません。ひと時でも休まる時がありますようにと思います。

認知症の方についてのお話です。
認知症の方に対してユマニチュードという方法で対応することが勧められています。
フランス語で「人間らしさ」を意味するというこの言葉。
細かい定義はいろいろあり、深みのある学問です。哲学的な要素を含むように思います。
「あなたを大切に思っている」ということを伝えるための技術とされています。

認知症の人がしばしば拒否をしたり、抵抗をすることがあります。これは「自分の意に沿わない」ということを表現しているものです。では拒否や抵抗があれば全て患者に従ってケアを中止することでいいのか?というと、それはまた違うようにも思います。とはいえ、強制はならないし。
悩み深いところですね。
精神科の先生に聞くと、「介護職が手に負えないと連れてくる患者がボクの前にくると、きちんと大人しく言うこと聞くんだよ。結局対応の仕方がまずいんだよ」とおっしゃいます。
それについては「そりゃー先生の権威も関係していると思いますよ」と笑ってお答えしましたが、やはり接し方に上手下手があるのは確かであると思います。

介護職の方が接している時間が長い分いらいらすることも多く、理屈どおりの対応が難しいと言うところもあるかとは思いますが、たしかに見ていて「いや、それはあかんって」という対応もしばしば見られます。
どのような対応がいいのか?というと、単純に「普通に人に気に入られる態度」がいいと思うのです。

認知症の方でも感情は残ります。たとえ寝たきりで言葉を出すことができなくなっても感情は明らかにあります。生まれたばかりの赤ん坊でも機嫌があるのと同じです。生まれたばかりの赤ん坊でも機嫌があるっていうことは子供を育てたことがある人には実感できると思いますが、たぶん自分で育てたことがないと「あんな赤ん坊に感情があるの?」って思うかもしれませんね。でも、見ているとわかりますよね。ありますよね。
認知症でも言葉を失っても感情はあります。
その感情に配慮して、というか、普通に年上の先輩に気に入っていただけるよな態度で接することが基本であるように思います。
目の高さを合わせ、目を合わせて言葉がけをし、会話の最後にはにっこりほほえむ、という対人関係の基本の対応です。
これはごく当たり前のことと思っていたのですが、まず目を合わせて話をできる人が実は意外と少ない、ですよね。あと、自分の発言の最後にはにっこりほほえむということをしている人も実は意外と少ないです。
ということは、普通に他人と接するのがあまり上手ではない人が世の中には多いのかもしれません。

私自身は高齢者、認知症患者に対して「ごく普通に」接しています。今言ったことをすぐに忘れるような認知症の方に対してでも今日出すお薬の説明をして、この薬がどんなことに効くのか、どんなにいい薬かを説明して、飲んでみたいかどうかをお尋ねします。お尋ねして飲みたくないということであれば処方を中止しますし、どうしても飲んでもらいたいものであれば時には自分の手で相手の手を包み込んで目を見つめてお願いすることもあります。首をかしげてぶりっ子して「愛のお願い」です。一方的に「お薬出すから飲んでねー」ではなく、相手のご意向を確認してからの処方です。
一瞬後には相手は全てを忘れているのに、この手間を惜しみません。
なぜならば、記憶は抜け落ちますが、感情は残るからです。
「何を言われたかは忘れたけど、あのセンセはなんか、この薬がとってもいいから飲んでくれと一生懸命頼んでいた。」とか、
もっと忘れていても
「何か自分に一生懸命説明してくれた。」
とか、
さらにもっと残らない人では私の存在さえ忘れちゃうのですが、次にあったときに
「この人のこの感じ、嫌いじゃない」
と残っていたりします。

寝たきりの反応が乏しい方に対してでも簡単に「今日はお薬を変えましたよ。早く調子がよくなるといいですよね。」とお伝えします。感じの良さを出すように伝えます。これを繰り返していると、私が血圧を測るときには拘縮している腕に血圧計を巻くときに力を抜いて協力してくれるようになります。

認知症の方は新規の情報の上書きが難しいです。
感情は残りますから「なんだこいつ、嫌な奴」と一度書き込まれた情報はその後一生懸命挽回しようとしてもなかなか善行の上書きはされません。
ですから、「やな奴」にならないように非常に気を使って先輩に対する礼を無くさないように心がけています。

ということで、認知症の方に対しての対応は「気難しい先輩に気に入られるような態度で接する」というごく当たり前の結論になります。この「ごく当たり前」、目を見て話をすることや会話の途中の笑顔などと同じく「当たり前のようで当たり前でない」のかもしれません。

ちなみに私自身は性格はきつめ、思っていることをストレートに言ってしまい、失言癖があるという「医学部行ったひとアルアル」的なタイプの決して感じのいい人ではありません。ただし、職業上学んだことを実践していると、仕事をしているときは「感じのいい人」に思われるようになりました。実の性格にそこそこ難があっても、職業上の性格ぐらいはそこそこ感じ良くなるもののようだという一例としてご覧いただければと思います。