2018年6月より産経新聞中国四国版にて月2回連載する機会をいただいております。

タイトルは「在宅善哉」。在宅医療の日常を捉えたエッセイをと依頼されました。しかしながら在宅医療の最終にはその患者さんとの別れがあり、どうしても人生の終末の話になってしまうあたりが悩みどころです。それでも、お一人お一人が大切な方であり、その大切な最後の時間にお付き合いできた喜びが伝わるといいなあと思っております。

今回は在宅善哉第1回の原稿をお届けいたします。

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京都市の中心部は、人々の生活の中に仏教が根付いています。会話のなかで、「うちは○○寺と懇意で」「○○院の檀家で」など、観光で有名なお寺とのつながりを誇らしげに話されることが珍しくはありません。
ですから、死後の世界の話を人々はさりげなく口にします。別れはさみしいことではあるけれども、生きるものの必定として受入れ、自分があの世にいくときには再会し迎え入れてもらえることを楽しみに思う、という思いが日常の言葉の端々に感じられるのです。生活に根付く宗教観は、京都のみならず、お遍路さんで知られる四国をはじめ、日本中どこでもあると思います。こういった患者さんや家族の心情を大切にすることが在宅医療において欠かせないと考えています。
戦後から20世紀の終わりごろまでは、高齢者が病院で最後の時を過ごすことがあたり前と考えられてきました。しかし、医療費の増大など国家財政の課題が顕在化するにあたり、自宅での療養が奨励されるようになってきました。
現在、日本の医療を取り巻く環境は大きく変化しつつあります。さまざまな治療法において先端技術が次々開発される一方、治療一辺倒の考えをやめ、生の終わりを当たり前のものとして受け入れ、生活の質を大切にする医療という選択肢もできてきました。
そして療養生活を送る場所が、病院から、地域の介護施設、自宅へと移っていく中で、これまでのような医療的な管理が主体となる病院での療養から、患者さんの生活が主体となる在宅療養になりつつあります。これまでの医療者が治療対象の患者さんを引っ張っていくというイメージから、患者さんの生活の一部を医療者が支えているといった感じでしょうか。
本欄では、患者さんやご家族との交流、看護や介護、薬剤師など多様な職種の人々と協力する地域性豊かな療養生活をご紹介することで、在宅療養についての理解の一助となればと祈念しています。

(題字とも尾崎容子)

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産経新聞電子版で読めます。隔週木曜日掲載されています。