今日は医療とは関係ないお話を。

いつもお世話になる美容院。ここは芸大のそばにあるサロンです。

お話上手な店主の美容師さんはしばしば芸大生から質問されるそう。

例えば舞台芸術を学んでいる学生さん。

就職先として

1  100人に1人しか受からないけど劇団四季のような大劇団の舞台芸術関係(そもそもそれは無理と思われている)

2  小さな劇団で舞台芸術をやりながらバイト生活

3  勉強した舞台芸術とは関係のない一般企業就職

どこに行くか悩んでいると。

美容師として小さくても成功している美容院を経営していると思われている美容師さんは「まあ、好きなことを仕事にしてはいるがリスクはある」程度の回答しかできないのだそうです。

いつも楽しくお話ししている私の意見を求めて話題をふってこられました。

これについては明確な回答を出しました。

「道を選ぶときに『どの道を選ぶか』はあまり違いを生みません。」

「違いを生むのは道ではなく、歩き方だからです。」

例えば広い道と狭い道があったとして、目的地に向かって一心不乱に進む人は広い道をどんどん進んでいくでしょうし、狭い道でも困難をものともせずに進んでいくでしょう。

一方で、石ころを拾い、風景の写真を撮り、道端のおじさんとの会話を楽しむ人は、その道が広くても狭くても、ポケットを石ころだらけにしながら進んでいくことでしょう。

実例で言えば、私は高校3年生時点で京都大学などの大学の農学部や理学部生物学科に進学し、生物の教師になることを希望しておりました。教職が向いていると感じていたからです。

しかし、縁あって浪人の結果医学部進学し、学生時代の6年間を家庭教師や塾講師として過ごして「教職が向いてるなあ」と感じつつ、医師として過ごしております。

もし教師になっていれば、若いうちはどんどん量的に教師職を務めつつ、ある程度の経験が付いてきたならば「困っている子供」を支援する仕事をしたであろう(私の性格であればそれ以外に考えられない)し、新しい教育法について研究会に参加したりなどしていたであろうと思うのです。

医師として麻酔科集中治療領域でどんどん仕事をしつつ、勉強会などで自分の世界を広げてきた自分を思うと、教職についていたとしても同じようなことをしたであろうと感じます。

つまり、選ぶ道はあまり関係なく、歩き方がその人の人生を作るのだと思うのです。

だって。その人のアタマは一つですから。

そして、その美容師さんが自身の想いを語ると学生さんが「熱いっすね」と言うそうで、それをなんだか恥ずかしいことのように感じていたのだそうですが、それに比べ物にならないほど熱い私をみてちょいと安心されたご様子。

でも、熱を帯びた人でないと、巻き込み力がないし、巻き込み力がない人が大きな仕事をするのって難しいんじゃないかなとお伝えしたら「僕、なんか、自分のありようを肯定されてすごく安心しました」って言ってくださいました。

巻き込み力をもっとつけて、地域をどんどん巻き込んで熱い中京区、熱い京都市を作って行けたらいいのになあ。