産経新聞Webに掲載していただきました。
看取りができない死者、遺族への配慮が必要 在宅医・尾崎容子さん
2020.4.30 14:42産経WEST
新型コロナウイルスの感染で死亡した場合、感染拡大のリスクを避けるため、遺族は死亡した家族を看取ることはできません。遺族が死亡した家族と十分なお別れができない状況は、志村けんさんや岡江久美子さんのケースが公表されたこともあり、衝撃をもって受け止められています。在宅医で看取りの経験が多い京都市の尾崎容子医師は「自然災害や事件事故と同様、遺族へのケアが必要だ」と主張しています。
(編集委員 北村理)
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新型コロナウイルス禍。これにより、これまでの「当たり前」が「当たり前」ではなくなりました。死ですらも「当たり前」ではなくなりました。
一般的な病死と今回のウイルス感染死とは大きく異なることがあります。
感染死は、比較的健康であった方に起きている▽経過が急激である▽愛する人がそばで看取ることができない、別れができないことなどです。
これは自然災害や事件事故による死と同様の死であると考えます。
人が生まれてきた瞬間から、最期の時がくること、それは100%決まっているものです。したがって「死」そのものは悲劇とは限りません。しかし、自然災害や事件事故などにより予測できない死や別れができていない死は残された人にとって乗り越えがたい悲しみをもたらします。
私が死を前にした方へのケアの中で強調していることは「別れをきちんとしてほしい」ということです。
「別れをきちんとする」というのは、明るい空気の中でお見舞いに来てくださいということですが、きちんとお別れをするという意識をもっていただくことが大切なのです。
なぜそのようなことをいうかというと、「別れができていない時の別れは悲劇的だから」です。ですから、引き裂かれた突然の別れは悲劇的であり、乗り越えがたいものになってしまう状況をもたらします。
今回のコロナ禍による別れもまさに引き裂かれた突然の別れになるかと思います。家族として何もできない状態での別れ。別れのできない別れです。このようなとき、どうすればいいのでしょうか。答えは簡単ではありません。
グリーフケア(残された方の悲しみを癒すケア)では、グリーフ(悲しみ)の当事者の方々のお話をお聞かせいただきます。引き裂かれた悲しみを持つ方はどうやって悲しみを乗り越えてゆくのでしょうか。
グリーフを昇華された当事者はおっしゃいます。「悲しみは乗り越えられない」と。そして「悲しみとともに生きている」と。引き裂かれる悲しみ。それは、想像を超えるつらさであり、耐え難い悲しみです。それは乗り越えられるものではなく、そのまま悲しみとともに生きていくことになります。そして人は悲しみを背負う前の自分とは違う自分を生きていくということになります。
こうした引き裂かれる悲しみをもつ方の悲しい、つらい気持ち。周囲の者は遺族の心の声に耳をすませる、ただ聴くこと以外にできることはありません。
悲しみの当事者は悲しみをご自身の体の一部になるほど、悲しみを味わい尽くす作業の末に悲しみと一つになって、また悲しみを背負う以前の自分とは違う自分を生きていらっしゃいます。時に亡くした方と心の中で語り合いながら。こうしてグリーフの当事者は悲しみとともに生きながら、一人ではなく、亡くされた方とともに生きていかれるのです。
実際のグリーフ経験者は、私が想像していたのとは異なる、輝かしいほどの生を、亡き人とともに生きていると感じています。ただ、そこに至るまでは大変時間がかかる癒しの過程を要します。そして支えとなる聴き手、かかわり手が必要な過程なのです。
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おざき・ようこ 昭和年大阪生まれ。平成8年京都府立医科大学卒。麻酔科学教室、集中治療室。年同大博士号取得。西陣病院麻酔科勤務。年千春会病院在宅医療部勤務。年おかやま在宅クリニック開設。日本麻酔科学会認定専門医、日本プライマリ・ケア連合学会認定医、指導医。産経新聞大阪本社地方版で連載「在宅善哉」を執筆中。著書に「それでも病院で死にますか」(セブン&アイ出版)。