今、団塊の世代が後期高齢者になる2025年を目途に、国は「地域包括ケアシステム」というのを構築しようとしているということを皆様ご存知でしょうか。
それは中学校校区くらいのエリアで、住まい・医療・介護・生活支援が一体的に(=包括的に)提供されるような仕組み、というものです。
人が老い弱りが出る中で、デイサービスやショートステイに行ったり、訪問看護師さんが来てもらったり、などの様々なサービスが提供される仕組みです。私がしている訪問診療もその中のサービスの一つです。
この地域包括ケアシステムをうまく機能させるために必要なことが、医療と福祉の各事業所が連携する「多職種連携」というものです。そんな連携がどうして必要なのでしょうか?それぞれの事業所がそれぞれの仕事をする、それでいいのではないでしょうか?

訪問診療というのは通院できない方のためにご自宅や施設に伺っておこなう診療なのですが、この「通院できない」という時点で、訪問診療を受ける患者さんは「弱り」を抱えているわけです。「弱り」というのは、これまでできていたことができなくなることです。美智子上皇后はいつだったかのお誕生日のお言葉の中で、「今までできていたことは授かっていたもの、それができなくなったことはお返ししたものと受けとめている」とおっしゃっていました。私はこの記事を読んで「日本という国は素晴らしい象徴天皇、象徴上皇のいる国だな」と感動しました。まさにそのように人はこれまで獲得してきたものをどんどん返していくことになり、ついには赤ん坊のようになって天へと旅立ちます。

「死ぬのはいいけど、シモの世話にはなりたくないわ」という方は多くいらっしゃいます。しかし、多くの場合そのような世話になることもしばしばで、最後は排泄も委ねて旅立つことがほとんどです。人に最後を委ねての旅立ちではない場合、誰にも亡くなったことが気づかれない、あるいはあまりに急激な亡くなり方など、周囲の人の心がざわつくような最後になることになってしまいます。

人が生まれて来るときのことを考えます。生まれて来た途端、赤ちゃんがもりもりご飯を食べ、トイレに歩いていくことはありません。生まれたては無力です。どんなに劣悪な親であってもある一定の愛情をかけてもらわないと、赤ちゃんは育つことができません。

このように考えると、人は生まれてくるときも、旅立つときも人に愛されながらでないとうまく育たないし、うまく弱っていけないということがわかります。そう思うと、人間という生き物は尊い生き物だなあと思います。
終活という人生のしまい方を考えるときに、人の世話にならないように準備する方も多いと思いますが、人の世話を柔軟に受け入れられる方こそが穏やかな旅立ちをされるものです。

地域包括ケアシステムというのは、弱っていく人がそれを委ねられる地域づくりのためのシステムであり、人が愛されながら旅立つことが当たり前にするためのシステムだと言えます。シモの世話など、人に委ねにくいものを委ねてもらえるためには、医療と福祉の様々な多職種が連携してみんなが弱りを抱える人を愛情をもって支えていくことが必要です。

多職種が連携すると、利用者さんを大切に思う気持ちが相乗効果で大きくなるのです。チーム内のメンバーそれぞれがこの人を大切にしたいと思い、そのメンバーの気持ちを聞いた人がそれぞれまた影響を受け、利用者を大切に思う気持ちがさらに大きくなる、それが一番大きなメリットです。
困った利用者さんの場合でも、チームの誰かが解決策につながるようなアイデアを提案してくれたりします。また、利用者さんも、職種や相手によって見せる顔が違うことがあり、多くの職種の意見を集めると、困りの解決に向かう情報が集まってくるのです。

私は以前、困ったらカンファレンスをしているのです、という記事を挙げたことがあります。

困難症例にはカンファレンスをしよう

多職種が連携を実践していくと、本当に地域みんなで愛情をもって老いや病を支え、旅立ちを自然なものとして支援しているなと感じます。
これからも愛情を持って老いていくことができる地域づくりをしていきたいと思っております。