暑中お見舞い申し上げます。
人と会えば「暑いですね」としか挨拶がありませんが、今年の豪雨の後の暑さは経験のないものでしたね。今はそのころに比べればまだ凌げるもののような気がします。
本日の我が家の室内気温(うちは犬のいる土間以外は夜間早朝は冷房をつけていません)は29℃です。30℃を下回ると過ごしやすいと感じます。

夜間早朝はしのぎやすい地域であっても、日中は暑いものですから、窓を開けて熱風となっている外気を取り入れるよりは、窓を閉めて外気を遮断し、冷房をつけないと命にかかわる状態になります。

先日私の担当する患者さんが熱中症疑いで救急搬送されました。

経過
脳の病気の影響で高次脳機能障害(判断、記憶、感情表現、感覚器官などに障害がある)と年相応の認知症がある患者さん。独居です。
ヘルパーが入っている間、お昼寝。お昼寝から覚めると急に「出かける」と言い出しました。
用件を聞くと「お金を振り込みにいかないといけない」というのです。
お金の管理はもう社会福祉のほうでしてもらっているので、お金の振り込みなどする必要はないのです。ヘルパーさんは説明したのですが納得されません。足が不自由なこの方はヘルパーさんの制止を無視して出ていかれました。
ご自宅での療養ですから、お出かけは自由です。ヘルパーさんが止めることはできないものです。ついていこうとしましたが、怒鳴られてついていくことができなかったそうです。このようなやりとりはしばしばあるということでした。
その後、近所でうずくまっている患者さんを発見した方が救急要請し、搬送されました。
救急搬送された病院では熱中症を疑い一通りの検査をしてくださり、大きな問題なく自宅に戻れる状態であると判断され、ケアマネジャーが呼ばれて付き添って帰宅されました。
救急医は「特に問題なく帰宅していただきましたが、実のところ間一髪だったのだと思います。」と書いてくださいました。出かけた理由を尋ねると「たばこを吸おうと思って」などのことだったようです。

これは私の想像ですが、昼寝中の夢でなにかお金を振り込まないといけないような気分になり、出かけようとして、止められたために余計に意地になって出てきてしまい、出たものの「なぜ出かけたのだっけ?」とわからなくなり、足の悪さもあって途中から動けなくなり、暑さのためにぐったり座り込んでしまったのだろうと思うのです。

落語でも用事を言いつかって途中でわからなくなる話、用事を忘れて思い出せなくなる話、おもしろ話でありますが、きっと誇張された話ではあれ、江戸のころから「あるある」話だったのでしょう。
認知症の人もいたことでしょうが、「困ったもんだよ」と言われながら町のみんなで守られてきたのではないでしょうか。

今、認知症を持ちながら町で暮らす人をどのように守り、そして彼らにも役割をもってもらいコミュニティの中でともに暮らしていくのか。
「お出かけ気分」になった認知症の人をどのように見守っていくのか。
今回のことを「徘徊」という言葉で片付けたくないのです。
あの患者さんは「あ、出かけなきゃ」と思って出かけた、その当たり前のことをして、途中で体力がおぼつかなくなった、それだけのことなのです。
徘徊という一般の人にはありえない異常な状況ということではなく、町で暮らす普通の人がうっかり「あ、オレ台所に何しに来たんだっけか?」といういつものアルアルが町の中で起こっているだけなのです。
高齢者のお出かけ気分すらも咎められる時代になりつつありますが、さして遠い将来ではなく自分もその高齢者になるときに「おでかけ」が自由に認められず強く叱られるようなことになってほしくないと切に願います。
そして今、彼らとどうつきあい、どう守り、どう彼らにも町のメンバーとしての居場所を見つけてもらうか。これについては答えはありませんが、みんなで思いを寄せていく時期になっていると思うのです。
他人事ではなく、数年後数十年後に自分もなる、認知能力の低下した高齢者予備軍として。