年が明けたと思ったところなのに、もう半年が過ぎようとしていることに驚く私です。
もう、言ってる間に年末になっちゃうことでしょう。
そして6月に入ったところだなと思っていたら、もう半ばなんですね。えらいこっちゃです。
写真は北野天満宮の夏越の祓の茅の輪くぐりです。この茅の輪をくぐって夏の無病息災を願います。
京都ではこの季節、「水無月(みなづき)」というお菓子を食べます。

ここのところは、ワクチン業務がわりと大変です。
新聞では訪問による接種をしていると報道されるくらいなのですが、当院では当たり前のように訪問による接種をしております。
そりゃ在宅医療のクリニックですからね。これでワクチンだけクリニックに来てくださいなんて言ったら患者さんから怒られそうです。
ワクチンは接種後15分観察をする必要がありますが、まず接種してからいつもの業務をしていると、ふつうに15分くらい経っていますから、ことさら時間がかかるというものではありません。
ワクチンもなるべく衝撃を与えないように搬送が必要であるとのことで、注意していますが、脱脂綿でガードして保冷剤を入れて運べばそれほど大きな衝撃もなく、温度管理もできているように思います。

当院では困難な症例を受け入れることが多いです。
通院できない弱りを抱える方々。
弱りを抱える前は自分が弱ることなど考えたこともないのが当たり前ですから、自分が自分でなくなる、あるいは、自分の家族がこれまでの様子と変わってしまうことに、気持ちの上で受け入れられないこともありますし、実際の生活の中で介助が必要なのにどうすればいいのかわからず困ってしまっていることもあります。
そのため、ヘルプの出し方がわからなかったり、拒否的になってしまったり、自分の殻にこもってしまったり、多くの困難が発生することが多いです。
ご本人が拒否的であったり、困難を抱えている場合は、解決が可能なことが多いのです。なぜならご本人はご自身の弱りについて、徐々に慣れてくる(受け入れているわけではない)からです。徐々に慣れてきて、これについては周囲の支援が必要であることがわかってくるからです。
しかし難しいのはご家族の拒否が強い場合や、こだわりの強さから他者の支援を受け入れられない場合です。
この場合には残念ながら撤退をすることも多いのです。「もう来なくていい」と言われたらそれ以上押し売りをすることはできません。
困難症例では自分の力の及ばないことも多いのです。自分にはどうしようもできないからこそ困難症例なのですが。

多くの困難症例を経験してきてだんだん対処の仕方がわかってきました。

一つは自分自身が傷つかないようにすること。傷つかないように自分の気持ちをコントロールすること。
うまくいかないことに自分自身が非常に傷ついてしましますが、傷ついてしまって歩みを止めてしまうわけにはいかないということです。
たとえばプロ野球選手は1回負けても明日また試合があり、そこでもまた同じ失敗をしないように、いい結果を出すように求められます。高校野球のように1回負けたらそのあともう試合がないのではないのです。
一つの件でうまくいかないことに傷ついている暇はなく、まだまだ困難な仕事は山のようにあり、次の機会にいいパフォーマンスをすることが必要です。

二つ目はいいパフォーマンスをするにはどうすればいいかということです。
それは精神面での問題というより、技術や知識の問題であると考えます。
手技の問題であれば今は動画なども多く出ていますし、知識であれば解説書も多く出ています。
また自分自身で日記や記録を書いていく中で気づきもあり、それを知識としてまとめることもできるでしょう。

この二つのことを合わせて、一言で困難なことに対応するコツを言うなら次のようになります。

「できないことに対してくよくよしない。できることに対して粛々と誠実な態度で実行していく。」

当たり前のように思われるかもしれませんが、当たり前ではありません。
人は自分のできないことに対してクヨクヨして傷ついてしまいます。でも、自分の手の届かないことが多いからこその困難事例です。
クヨクヨするのが好きだ、という人もいますので(ご自身で「私、クヨクヨするのが多分好きなんですよ」とおっしゃる方もいます)、好みの問題もあるかと思いますが、自分の中で「クヨクヨしない」と言語化することは大切なことじゃないかと思います。
そしてできることに対して誠実に実行していくことは本当に大切なことです。
しかし、忙しさや面倒くささで実行することを後回しにしたり、できることなのに目をつむってしまったりすることは非常に多いのです。
「誠実な態度で」と付け加えているのは見て見ないふりをする人が多くいることに立腹している私が、他山の石とするべく「自分自身は誠実な態度で物事をすすめていくのだ」と誓っているのです。
また困難なことを実行していくことなので、リスクについて大騒ぎしたり、とか、準備が大変だと大騒ぎしたり、などバタバタしてしまう人も多いのですが、粛々と実行していくことは大切なことです。

先に挙げた訪問によるワクチン接種も同じことです。
大騒ぎして訪問によるワクチン接種は大変だと騒ぎ立てているけれど、粛々と準備して当たり前のように実行するのです。
リスクに関しては、アナフィラキシーの心配はもちろんありますが、それはクリニックで起こっても同じように大変なことです。
そして、人工呼吸器を日常的に扱っていた私は、人工呼吸をしての麻酔中に喘息発作が起こった時には、どんなに強い力で息をいれても、患者の体に入っていかないことも経験しています。
どんどん酸素飽和度が下がっていって、私はどうしよう、どうしようと体から血の気が引くような思いで人工呼吸器のバッグをもむのですが、エピネフリンの筋注が効いてくると、うそのように、呼吸ができるようになって、酸素飽和度が急上昇し、安堵で力が抜けたものです。
アナフィラキシーに備えて人工呼吸の準備をされている医療機関もありますが、「それ、挿管しても、エピネフリンが効かないと呼吸はできないんだけどな」と思うし、「筋弛緩が効いていない患者で、苦しくて力んでる人に挿管なんかしたら、歯を折って口の中が血だらけになって余計にことを悪くするけどな。」と思うので、アナフィラキシーが起きたら、落ち着いてエピネフリン筋注とできるなら抗ヒスタミン剤を飲ませて救急車を待つのが多分ベストと思うので、それをイメージトレーニングしています。
そうして、エピネフリンと抗ヒスタミン剤を準備しやるのであれば、患者宅でもクリニックでもどちらでもリスクは変わらないなと思うわけです。

コロナ禍にて、私にできることはとても少ないのです。
病院の先生方が必死で頑張ってくださっているのに、何もできない自分は、いらぬ外出を控えるくらいしかできることはありません。
できないことに対してクヨクヨせず、できることに対しては粛々と誠実に実行するだけです。

コロナ禍に対してだけではなく、人生のいろんな場面で「クヨクヨしない、粛々と誠実にする」はお役に立つので、どうぞご利用ください。