この度1月に起きた埼玉の鈴木先生始め7人の皆様が受難された事件について、様々な方から哀悼の意と、許し難い怒りと、訪問に行く当職への労りの言葉をお聞きいたします。
私自身も面識がないながらも、懸命に地域医療をする同志の受難は残念でなりません。
ここに自分の思いをお伝えします。

*弔問に行ったくらいなのでとても誠実な先生なのだろうと思います。そして誠実に治療をしていても、分かり合えないことはあるのだと痛感いたします。

*実際自分も合わない患者、は実はあまりなくて、合わないご家族、というのがしばしばあります。患者さんは当初誤解があっても、症状が楽になってくるので徐々にわかっていただけます。しかし、ご家族にはそれがわかっていただけず、さらに診療時に同席していただいていない方にはなかなか分かっていただくことが難しいと感じています。
病院勤務時は看護師から「岡山先生と〇〇さんのご家族がうまくいかない」と在宅医療部の部長に相談があると、即座に担当を外されて悔しく思っていました。そして担当が変わるとあっさり揉める事がなくなったものです。変更になった後の主治医は、ただ処方箋を出すだけのタイプですが、そちらの方が、引っかかることもなく摩擦もなくなりトラブルもなくなることもあるのです。ですから、合う合わないというものはあるものだと思います。

*合わないご家族とは、ある程度努力しても無理だと感じたら他の先生に転医をお願いしています。当院の至らなさを痛感しつつ、お願いしています。逆に他の医療機関で合わない方がうちで合うこともあるのでそれもお互い様かと思います。

*うちの職員が私の無事を願う旨、言ってくれますが、人は思いがけない最後を迎えることはあります。津波にあいたくて遭った人はいないでしょう。交通事故にも遭うこともあるでしょう。
心を扱う以上、心の問題で受難することはありうることです。だからこの仕事は危険だからやめるかと言えばやめません。
危険以上の喜びのある仕事です。

*リスク管理についての自分の考えです。たとえば高齢者家庭で「転倒したらどうしよう」と心配するご家族に「転倒はするものです。誰も転ぼうと思って転ぶわけじゃなくて、気をつけてても転ぶんです。転んだらどうしようと、困る前から困る必要はないです。転んだらすぐさま対応できるように私たちがいるのです。本当に困る事が起きてから私たちと一緒に困りましょう。」と伝えています。
自分についても同じように思っています。
用心していても起こることは起こります。でも、困る前から困る必要はないかなとも思っています。またそのような不測の事態に備えること自体は大切かとは思います。

*今、事件の概要がわかるようになってきて、だんだん辛い気持ちにもなっています。でも、問題行動を起こす人は問題を抱えている、困っている人です。
困っている人はわかってもらえるとうれしいのではないでしょうか。犯人の話を聞きたいと感じます。